できるだけやさしく、ナナリーをベッドへと移動させる。非力と自覚している自分でも易々とできてしまうくらい、彼女の体は軽い。その事実が悲しい、とルルーシュは思う。
「おやすみ、ナナリー」
 そんな気持ちを押し殺して、優しい言葉をかける。
「お休みなさい、お兄様。クロヴィスお兄様も」
 そうすれば、ナナリーは微笑みとともにこう口にした。
「眠るまで、手を握っていてくださいますか?」
 さらに、ねだるようにこう付け加える。
「もちろんだよ、ナナリー」
 それが、彼女の就寝儀式のようなものだ。そうして、身近に誰かのぬくもりを感じなければ彼女は安心して眠れない。それを一番よく知っているのはルルーシュだ。
「何なら、反対側は私が握っていてあげようか?」
 クロヴィスがそっとこう問いかけてくる。
「クロヴィスお兄様?」
「側にいて上げられるときにはしてあげたいと思うんだよ」
 毎日、側にいられるのであればそれはそれでいいのだろうが。そういいながら微笑む彼の表情をナナリーは目にすることができない。それでも、彼の気持ちは伝わったらしい。
「お願いしていいのでしょうか」
 ナナリーがおずおずと問いかける。
「もちろんだよ」
 言葉とともに、クロヴィスはそっとナナリーの頬へと触れた。そうすれば、彼女はその手をそっと握りしめる。
「では、ナナリーが眠るまで、ここにいてくださいませ」
「明日の朝には、おはようも言ってあげるよ」
 だから、安心しておやすみ……と付け加えるクロヴィスにナナリーはふわりと微笑む。そのまま、彼女はゆっくりと体から力を抜いた。
 ナナリーの瞳は、あの日から閉じられたままだ。だから、本当に彼女が寝入ったのかどうかを瞳で判断をすることはできない。それでも呼吸と、自分の手を握る指の力で判断をすることができる。他人にはわからなくても、自分にはそれがわかるとルルーシュは思っていた。
 そうしている内に、ナナリーの唇からは穏やかな寝息がこぼれ落ちる。同時に、二人の手を握っていた指から力が抜けた。
「……ルルーシュ」
 小さな声で、クロヴィスがこう囁いてくる。
「俺の部屋に」
 この様子なら、明日の朝まで目を覚まさないだろう。そう判断をして、ルルーシュは言葉を返す。
 もっとも、すぐには立ち上がらない。
 ナナリーの小さな手をそうっと毛布の中に入れてやる。ルルーシュのその仕草を見ていたクロヴィスもまた、同じように彼女の手を毛布の下へと導いてやっていた。
「ゆっくりおやすみ、ナナリー。よい夢を」
 私が守ってあげるから。そういって微笑む彼の表情には、彼女に対する愛情しか感じられない。
 かつては、彼も含めた《肉親》全てが恐かった。
 だから、隠れていた。
 そのせいで、ナナリーにもかなり負担をかけてしまっていたことも覚えている。彼女がいまだに華奢な体格をしているのはそのせいではないか、と思うのだ。もっとも、クロヴィスに言わせれば、ルルーシュもそうらしいのだ。
「ルルーシュ」
 そんなことを考えながらナナリーの顔を見つめていた彼の耳に、異母兄の声が届く。
「すみません。考え事をしていました」
 ナナリーの顔を見ているとあれこれ考えてしまうので……とルルーシュは口にする。
「あぁ、かまわないよ。それよりも、その体勢では辛いだろう?」
 それに、ここで話をしていればナナリーが起きてしまうかもしれないよ、と彼は続けた。
「そうですね」
 確かに、ここで話をするわけにはいかない。それでも、ルルーシュはすぐには立ち上がることができなかった。自分が動くことでナナリーの眠りを妨げてしまうのではないか。そんな不安が心の中をよぎるのだ。
「ナナリーはよく眠っている。明日の朝、君が寝不足だとわかったら、そちらの方が負担になるよ」
 違うのかな、と問いかけられて、ルルーシュは「そうですね」と静かに口にする。そして、そのままそうっと立ち上がった。
「では、兄上」
 こちらへどうぞ……と口にするとルルーシュは先に立って歩き出す。
 ナナリーの部屋を出ると、階段を上がって自分の部屋へと彼を案内した。
「あぁ、飾っていてくれたんだね」
 クロヴィスは室内に足を踏み入れた瞬間、机の脇に飾られているものに気づいてふわりと微笑んだ。
「……兄上にいただいたものですから」
 それにルルーシュはこう言い返す。
「母上の写真も……手元にありませんでしたし」
 だから、これをいただいたときには、とても嬉しかったのだ……とルルーシュは続ける。でなければ、母の面影もいずれは薄れてしまっていたかもしれない。そんなことも考える。
「マリアンヌ様の美しさはもちろん、優しさの十分の一も写し取れていないような気はするんだけどね」
 それでも、ルルーシュが喜んでくれるならば嬉しい……と告げるクロヴィスに、ルルーシュは取りあえずソファーに座るように頼む。同時に、応接セットだけでももう少しいい物を用意しないとダメだろうか。彼が頻繁に訪れるわけではないが、と本気で悩んでしまう。
「でも、兄上が気持ちをこめて描いてくださっていますから」
 ナナリーが見られなくて残念がっていました、とルルーシュは付け加える。
「ナナリーが? そうか」
 微かに目を伏せたクロヴィスが何を考えているのか、その表情からはわからない。それでも、あの子のことを心配してくれているのだけは十分に推測できた。
「兄上。紅茶でよろしいでしょうか。流石に、アルコールは常備していませんので」
 そんな彼の気持ちを少しでも浮上させようと、ルルーシュはこう声をかけた。
「紅茶で十分だよ。ルルーシュが淹れてくれるのかい?」
「この程度のことで、咲世子さんの手を煩わせるわけにはありませんから」
 それよりも、ナナリーの側にいて欲しいから。そう付け加えると、ルルーシュは手早く用意をする。もっとも、湯が沸くまでには少し時間がかかりそうだ。
「それと、兄上。この前頼まれたものです」
 それならば、時間は少しでも有効に使った方がいいだろう。そう思って、ルルーシュはデスクの引き出しの中から紙の束を取りだした。
「……ルルーシュ。こんなものは、明日別れる間際でいいのだよ」
 ここに来たときぐらい、仕事のことは忘れさせてくれ……とクロヴィスはため息をつく。
「わかっていますが……明日は、俺もゆっくりとしていられないので」
 生徒会の仕事で朝早く出かけなければいけないのだ、とルルーシュは苦笑とともに言い返す。
「その代わり、中等部はセキュリティのチェックの関係で、始業時間が少し遅れますから、兄上はナナリーと朝のお茶をどうぞ」
 こう付け加えれば、彼は微苦笑を浮かべてみせた。
「本当に君は、信じたものにはとことん甘い子だね」
 こう言いながら、ルルーシュから紙の束を受け取ろうと言うかのように手を出しだしてくる。そんな彼の仕草にルルーシュは少しだけ安堵しながら、彼が受け取りやすいようにと少しだけ手の位置を変えた。
 だが、それが失敗だった。
「……ほわぁ?」
 何故か、クロヴィスは書類だけではなくルルーシュの体ごと自分の方へと引き寄せたのだ。気が付いたときには、ルルーシュはクロヴィスの膝の上に座っていた。
「……兄上?」
 いったい、どうしてこのような状況になったのか。呆然としながら、ルルーシュはクロヴィスに問いかける。
「いいから、お湯が沸くまでこうしていなさい」
 たまには甘えてくれてもいいだろう……と言われても、困る。それが本音だ。
 はっきり言って、甘え方なんて忘れてしまった。
 無条件で誰かに甘えられていられたのは、母が亡くなる前まで。それから後は、ナナリーを守るだけで精一杯だった。だから、とルルーシュは小さなため息をつく。
「ルルーシュ?」
 どうかしたのかい? と心配そうにクロヴィスがルルーシュの顔をのぞき込んできた。
「……俺は、もう、あのころのような子供ではありません」
「何を言っているんだい、ルルーシュ。いくつになろうとも、お前が私の弟だという事に代わりはないのだよ?」
 確かに、昔は二人を守ってやることはできなかったが、今は違う。こうして、二人を安全な場所で守ってやることができるのだ……といいながら、彼はルルーシュを抱きしめてくる。
「兄上……」
「だから、もっとわがままを言ってくれていい」
 それを叶えてやることが自分にとっては嬉しいのだから……と彼はさらに付け加えた。
「……ワガママは、たくさん言っていると思いますが?」
 たとえばこれも自分のワガママだ、とルルーシュは手の中の書類に視線を落とす。
「ルルーシュ?」
「兄上が……イレヴン達を好いておられないのは知っております。でも……」
 それでも、自分は彼らを見捨てられない。
 ひょっとしたら、その中に《彼》がいるかもしれないのだ。
 だから、とルルーシュは唇を噛む。
「何を言っている。確かに、私はあれらが嫌いだ。お前達をさんざんいじめてくれたからね。だからといって、根絶やしにする気はない。従順であるのなら、放っておいてもかまわないと思っているよ」
 そのための手段をルルーシュが考えていてくれるのだろう? それはワガママとはいわない、と彼は続ける。
「ですが、兄上」
 そんな彼に、ルルーシュが反論をしようとしたときだ。
「枢木スザク、だったかな?」
 不意に、クロヴィスの口から、絶対に出るとは思っていなかった名前がこぼれ落ちた。
「……兄上、どうして……」
 目を丸くする彼に、クロヴィスは満面の笑みを向ける。
「ナナリーから聞いたのだよ。ルルーシュが欲しがっている物は何か、と。そうしたら、あの子はものではないが探している人がいる、と教えてくれてね」
 初めてできた友達なんだって? と付け加えられて、ルルーシュは反射的に頷いてしまう。その後で、思い切り慌ててしまった。
「兄上、あのですね……」
「ごまかそうとしなくていい。ルルーシュが会いたいのなら、探してあげるよ」
 その気になれば簡単なことだ……と彼は続ける。
「……いえ、いいです……」
 しかし、そんな彼に、ルルーシュは小さな声でこう言い返す。
「ルルーシュ?」
「あいつは、俺を……俺たちを恨んでいるかもしれませんから」
 ブリタニアのせいで、それまでの生活を全て壊されたのだ。だから、会いたくても会えない、とルルーシュは心の中で付け加える。
「だから、いいんです」
 そのまま、クロヴィスの胸に頭を預けた。
「ナナリーがいて、兄上がいて……ミレイ達もいてくれる。今は、それだけで十分です」
 こう口にすればクロヴィスはルルーシュの髪をそうっと撫でてくれる。
「君がそういうのであれば私は何もしないが……でも、気が変わったなら、いつでもいいなさい」
 そのくらいのことで遠慮なんかをしてはいけないよ……と付け加える彼に、ルルーシュは小さく頷いてみせた。




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07.04.07 up