バラの鉢を抱えて総督府にたどり着けば、バトレーが待っていた。
「殿下、それは私が」
 鉢植えを見て、バトレーが即座にこう言ってくる。
「あぁ、気にしなくていい。これは私が運ばなければいけないのだよ」
 大切な預かりものだからね……と付け加えれば彼は取りあえず引き下がってくれた。
「それよりもこちらの書類に目を通して、取りあえず根回しをしてくれないかな?」
 ルルーシュから手渡された書類を差し出しながら、クロヴィスはこういう。
「あの方からでしょうか」
「そうだよ。私が考えていたものよりも数段もいい案だと思う」
 バトレーの問いかけにクロヴィスはためらいもなくこう口にする。こうして自分のフォローを彼がしてくれるのはこれが最初ではないのだ。だからかまわないだろう、とそう思う。
 もっとも、ルルーシュにそんなことをさせてしまう自分の無能ぶりにもあきれたくなるのは事実だ。同時に、あの子がどれだけ優秀でも決して表に出られないだろう、と考えればかわいそうになってしまう。
 できればこのように隠れてではなく自由に才能を発揮させたい。しかし、それは彼の生存をみなに知らせてしまうと言うことだ。ルルーシュが一番怖れていることがそれである以上、今の自分ではどうすることもできない。
「それでは、早急に手配をさせて頂きます」
 クロヴィスも着替えがすんだら、すぐに執務に戻って欲しい。彼はそう告げる。
「あぁ、そうだ」
 そのまま立ち去ろうとする彼をクロヴィスは呼び止めた。
「何でしょうか」
 即座にバトレーは足を止めるとこう問いかけてくる。
「内密に探し出して欲しい人物がいるのだがね」
 ルルーシュは『必要ない』とは言っていた。だが、それが彼の本心なのかと問いかければ違うような気がしてならない。あるいは、自分の手で探し出したいと思っているのか。そうも思う。
 それでも、だ。
「もし、それがルルーシュ達の記憶の中にあるとおりの人物であればよし。そうでなければ……」
 あの子達の目の届かぬ場所に放り出すしかないだろう。だからといって、殺すわけにもいかない。そんなことをしたとあの子達が知ればまた自分を憎んでしまうかもしれない。それだけはいやなのだ。
「どこぞに放り出せ」
 ルルーシュ達の目の届かない場所に、と命じる。
「かしこまりました」
 この言葉だけでバトレーはクロヴィスの気持ちを察したらしい。
「お二方の目の届かない場所で、命の危険性の少ないところをいくつか、ピックアップしておきます」
 ご安心くださいませ、と口にするバトレーに小さく頷き返す。そして、そのままクロヴィスは歩き出した。
「……ばれたら、怒られるだろうね」
 それでも、もう二度と君達を傷つけさせたくないし、悲しませたくないのだ。クロヴィスはそう呟く。ようやく見せてくれるようになった笑顔を失いたくない。だから、先に調べておくだけだ……とも。
「でも、問題ない相手なら、ちゃんとあわせてあげるから」
 ルルーシュ達にもわからないように、できるだけ自然な形で……とクロヴィスは口の中だけで付け加える。
 だから、妥協してくれ……とも。
「その前に、兄上達だな」
 本国に戻れば、他の兄弟達と話をしないわけにはいかないだろう。その中には、自分と同じかそれ以上にルルーシュのことをかわいがっていた者達もいる。そんな彼等であればいい。だが、それ以外の者達にあの二人のことが知られたらどうなるか。
「シュナイゼル兄上やコーネリア姉上ならば心配はいらないかもしれないが……ばれたら、絶対にこのままではいられないだろうしな」
 彼等はルルーシュの才能を認めている。それだからこそ、彼の生存を知れば表舞台に引きずり出そうとするだろう。そんなことになれば、ようやくふさがったルルーシュの心の傷がまた開いてしまいかねない。それどころか、最悪の結果にすらなりかねないのだ。
「……あの子達の心の傷が完全に癒えるまで……あの子達のための楽園は、守らなければいけないね」
 そのためには、自分が頑張らないと。クロヴィスはそう決意をするとまた歩き出した。


 目の前の書類の山に、ルルーシュは小さなため息を漏らす。
「会長」
 だからといって、これが消えるわけではない。精神状態を考えるとできればやりたくないのだが、立場上確認しないわけにはいかないだろう。そう判断をしてミレイに声をかける。
「ルルちゃん、頑張ってね」
 だが、ルルーシュが次の言葉を口にする前に、ミレイが満面の笑みとともにこう言ってきた。
「……会長……」
 最初から自分に押しつけるつもりだったのか、と言外に滲ませながらルルーシュは目をすがめる。
「各クラブから提出された予算書よ。ルルちゃんなら、すぐでしょ?」
 しかし、そのようなことでめげるような彼女ではない。にっこりと微笑むとこう言ってくれた。
「私は、今日、ナナちゃんとお出かけだもの」
 前からそういう予定になっていたでしょう? と付け加えられて、ルルーシュは記憶の中を探る。そうすれば、すぐに答えは見つかってしまった。
「そうでしたね……」
 ナナリーが服――主に下着だ――を買いに行くのに付き合って欲しい。そう頼んだのは自分だった、とため息をつく。同時に、それを見越して締め切りを設定したのではないかとも考えてしまう。
「しかし、会長はともかく、他のメンバーはどうしたのですか?」
 少なくとも、後三人、いるはずだ……とルルーシュは言外に問いかける。
「シャーリーは部活よ。もうじき、大会だから。ニーナは、論文の締め切りが早まったって言って、昨日から部屋にこもっているし……この二人に関しては妥協するしかないでしょうね」
 生徒会の仕事よりもそちらを優先させることが学園の名前を高めることにつながるのだし、そうすることで入学希望者が増えるかもしれないでしょう……と言う彼女の意見はもっともだ。
「その二人に関しては俺も文句はありませんよ。ただ、生徒会にはもう一人いたような気がするのですが」
 にっこりと綺麗な微笑みを作りながら、ルルーシュはこう口にする。
「どんな存在でも、猫の手ぐらいは役に立ちますからね」
 言外に『使い物にならない』と告げるルルーシュにミレイは少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。本人が見ればいろいろな意味でショックを受けるだろう。もっとも、それは自業自得だとルルーシュは考えている。
「リヴァルには猫の手には猫の手なりの仕事をして貰っているのよ」
 ここ数年の資料整理! とミレイは楽しげに言い切った。
「それはそれは……」
 今日はもう帰ってこないな……とルルーシュは判断をする。いや、それどころか今週、生徒会室で彼の姿を見かけることができるだろうか。
「何をやらかしたんですか、あいつ」
 おそらく、彼女の地雷を踏んだのだろうけど……と思いながらルルーシュは確認のために問いかける。
「内緒で〜す」
 まぁ、そういうことだから……と彼女は笑う。
「……そういうこと、ね」
 苦笑とともにルルーシュは頷いてみせた。これは、後で自分もそれなりの報復を考えておいた方がいいかもしれないな、と心の中で付け加える。
「ともかく、ナナリーのことをお願いします。咲世子さんも一緒に行くとは思いますが」
「わかっているわよ。ちゃんと清楚で可愛いのを選んであげるから」
 だから、ルルーシュは書類をお願い……とミレイは口にした。
「わかっています。取りあえず、昨年度の実績と今年度の計画から適当に振り分けます。後できちんとチェックしてくださいね」
 まためくら判を押されるのは困るから、と一応念を押しておく。
「はーい、はい。もう、ルルちゃん、最近、口がうるさくなったわよ」
 殿下のせいかしら……とさりげなく付け加えるミレイに、ルルーシュは苦笑を返す。もっとも、それに同意を示したと知ればあの兄はどうするのだろうか、とそうも思う。
「じゃ、行ってきます。後お願いね」
 手をひらひらと振って、ミレイは出て行く。それを見送ると、ルルーシュは小さなため息とともに書類に手を伸ばした。


「殿下。ご出発の時間です」
 その言葉にクロヴィスは小さく頷いてみせる。そのまま、彼はバトレーへと視線を向けた。
「もし、何かあったらあの子に連絡を取るように。ただし、内密でね」
 そうすればきっとよい意見を出してくれるだろう……とそう口にする。
「できれば、そのような事態にならないことを祈ります」
 彼等に不安を与えることはもちろん、危険にさらすようなことをするわけにはいかないだろう。バトレーは言外にこう付け加えた。
「もちろんだよ。ようやく、あの子達も平穏の中で何とか微笑みを浮かべられるようになったのだからね」
 だから、できれば何もないことが望ましい。だが、自分がこのエリアを離れることは既に周知の事実なのだ。だから、バカの一匹や二匹、出てもおかしくはないだろうとも考える。
「いざというときには、強引にでもいいからあの子達を安全な場所に」
「もちろんでございます」
 お二人の安全を最優先にさせて頂きます……とバトレーは口にした。
「ですから、殿下も」
 他の方々にくれぐれも悟られぬように……と彼は苦言を呈してくる。
「もちろんだよ。シュナイゼル兄上やコーネリア姉上方であれば、あの二人の処遇に関しては心配いらないだろうけどね。それで別の騒動が持ち上がっては意味がない」
 その結果、彼等の生存が知られればどうなるか。
 今ですらバトレー以外の側近には二人の存在を隠しているような状況なのだし、とそう思う。
 本来であれば、バトレーにも知らせたくはなかった。
 だが、それでは自分が動けないときに彼等を守れるものがいない。アッシュフォードだけではテロが起きれば完全にあの二人を守ることは不可能なのだ、と言うことは最初からわかっていたことなのだ。
 何よりも、自分とアッシュフォードをつないだのはバトレーだった。マリアンヌの存在を疎んじていなかった彼に、アッシュフォードがとぎれそうな伝手をたどって連絡を入れてきたのだ。
 そして、それは間違いではなかった。
「もっとも、いつまでも隠し通しておけるものではないだろうけどね。その前に、このエリアをしっかりと平定をして私の立場を強固なものにしておかないとね」
 帝国内での自分の立場が強くなれば、たとえあの二人の生存がばれたとしても守りきれる可能性はある。
 もちろん、自分一人では無理だろう。
 その時にはあの二人に頭を下げて協力をしてもらうしかないだろう、と考える。そのような状況だとわかれば、ルルーシュだって納得してくれるに決まっているし、とも思う。
「では、後を頼んだよ」
 こう言うと、クロヴィスは脇のテーブルの上に置かれていたバラの鉢をそうっと持ち上げる。
「殿下」
「これは、私が責任を持って持っていかなければいけないものだからね」
 そして、自分自身の手であの方に捧げなければいけないのだ。
「……いずれ、あの子達をあの方の前に連れて行って上げたいと思うよ」
 この呟きとともに、クロヴィスは歩き出した。




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07.04.12 up