ナナリーの容態が安定したことに安堵したのだろうか。バトレーが立ち去った後、ルルーシュはすぐに安心したようにまた眠りの中に落ちてしまった。
「……本当に、ルルーシュは……」
こんなに無防備でいいの? とスザクは小さな笑いを漏らす。それとも、ここにいるのが自分だから、だろうか。
「それならばいいんだけどね」
側にいるのが自分だから、こうして安心したような表情を見せてくれている。それは、彼が自分を信頼してくれているという証拠だろう。そう思えるのだ。
「それにしても、ナナリーの車いすのおかげで、取りあえず、ルルーシュが壊れないですんだのかと思えば……感謝するしかないかもな」
もちろん、彼が壊れてしまったとしても、自分は側を離れるつもりはなかったが……とこっそりとはき出す。
「それでも、ルルーシュをここまで悲しませたことは許せないよな」
クロヴィスだけであれば、ルルーシュにしてもまだ余裕――という表現はおかしいかもしれないが――があったのではないだろうか。それどころか、彼が中心になってテロリストを追いつめていただろう。
しかし、ナナリーではそうはいかない。
彼等が当時まだ《日本》と呼ばれていたこの地に来る原因となった事件が、ルルーシュの中でどれだけ大きな傷を作っているのか。それをスザクはあの日々で知っていた。
きっと、目の前の光景が治りかけていた傷をまた大きくしたのだろう。
でも、とスザクは心の中で呟く。こんな風に弱みを見せてくれるルルーシュはとても魅力的だ。そんなことを考えてしまう自分は、やっぱりどこかおかしいのかもしれない。
それでも、ルルーシュが大切だと言うことだけは事実だ。
「ルルーシュ」
そっと、彼の頬を撫でる。
「そんなに無防備だと、キスしちゃうよ」
小さな声でそう囁く。もちろん、ルルーシュの眠りを妨げないように、だ。だから、彼から答えが返ってくるわけがない。
「ルルーシュ」
でも、それをいいことに、スザクはゆっくりと彼の唇に自分のそれを近づけていく。
「早く、俺のことを見ろよ」
自分だけ、とは言わない。でも、ナナリーとは違う視線を自分に向けて欲しい。そう、彼の唇に触れそうな距離で囁く。そのまま、そっと触れるだけのキスを彼に贈った。
「……そのためにも、バカはさっさと排除しないとダメかも、な」
二人が安心して暮らせるようにならないと、ルルーシュに余裕ができないだろう。
それよりも先に、ナナリーに意識を取り戻してもらわなければいけないか。そんなことも考える。
「本当、俺も気が長くなったよ」
昔であれば、強引に自分の方を向かせようとしていたのではないか。しかし、それでは逆効果だと言うことも既にわかっている。
「でも、早く自覚してくれよな」
いつまで我慢できるかわからないから、と囁く。
もっとも、これから自分の立場を固めるために動かなければいけないだろう。せっかく、ルルーシュがお膳立てをしてくれたのだし、何よりもそうすることが彼等の側にいるためには必要ではないかと思うのだ。
問題は全てが終わったときかもしれない。そんなことも考えてしまう。
「……まつげ長いよね、本当に」
昔も同じ事を感じたけど……と呟きながらそっと身を起こす。
そんな彼の行動にタイミングを合わせたのだろうか。誰かが自分たちの方に歩み寄ってくる。その足音にスザクは聞き覚えがあった。
「何かご用ですか?」
ロイドさん、と振り向いたときにはもう、スザクの表情は他人に見せているそれだった。もっとも、彼がそれでごまかされてくれているとは最初から思っていないが。
「取りあえず、みなさまの容態を把握しに、ね」
一応、うちの上司に報告をしないといけないから……とロイドは意味ありげに笑う。
「まぁ、僕がしなくてもバトレー将軍かダールトン将軍がしてくださるかと思うけど」
それでも何もしないわけにはいかないからねぇ、と彼は続ける。
「まぁ、これから忙しくなりそうだしぃ」
ルルーシュの手作りプリンはしばらくお預けかなぁ……と付け加える彼は、あくまでも本気らしい。その言葉に、スザクは苦笑を返した。
いったい、今は何時なのだろうか。
光の刺激が容態を悪化させる可能性があるからだろうか。この周囲には窓がない。だから、光の様子で時間を判断するのはむずかしい。そんなことを考えながら、ルルーシュは小さなため息をついた。
「目が覚めたの? ルルーシュ」
言葉とともにスザクがのぞき込んでくる。
「スザク……」
いつもの彼の笑顔に、ルルーシュは思わず目を細めてしまう。そのままゆっくりと体を起こした。
「お前、寝ていないのか?」
まさか、と思いながらもこう問いかける。
「ちゃんと寝たよ。ルルーシュもよく寝ていたよね」
簡易ベッドに移したんだけど、その時も起きなかったし……という言葉に周囲を確認して見れば、確かに自分はベッドの上に寝ていた。その隣には、自分が眠りに落ちたはずのソファーが置かれている。そこにも毛布があると言うことは、スザクはそこで寝ていたのだろうか。
「ロイドさんが覗きに来て、ルルーシュが寝づらそうだったからって、どこからか持ってきてくれたんだ」
運んできたのは別の人たちだったけど……とスザクは苦笑とともに教えてくれる。
「……そうか……」
ロイドに借りを作ってしまったな……とルルーシュは内心でため息をつく。これは、本当に、落ち着いたらプリンの一つや二つ、作ってやらなければいけないだろう。
「それよりも、目が覚めたのなら、ご飯を食べておいでよ」
スザクのこんなセリフが耳に届く。
「スザク?」
「君が席を外している間は、僕がナナリーちゃんの側にいるから」
何かあったらすぐに呼びに行くから……とスザクはさらに言葉を重ねてくる。
「しかし……別段、空腹ではないし……」
それよりはナナリーの側にいたい。ルルーシュは本気でそう思っていた。だから、そう告げたのだが、その瞬間、スザクが恐い表情を作る。そういう表情になると、記憶の中の彼の面影があるな、と意味もなく考えてしまう。
「ダメだよ、ルルーシュ。食事だけはきちんと取らないと。ナナリーちゃんが回復するまで、どれだけの時間がかかるかわからないだろう?」
確かにそれはそうかもしれない。以前の時も、ナナリーが退院できたのはあの事件から数ヶ月経ってからのことだった。でも、とルルーシュは言い返そうとする。
「君が先に倒れてどうするの? そんなことになれば、クロヴィス殿下だって心配なさるよ?」
だから、きちんと食べて休憩を取らないと……とスザクは言ってくる。
「……それは正論かもしれないが……」
それでも、一人で食べるのは味気ない。それくらいであれば、ここで携行食でも食べた方がマシではないか。そんなことも考えてしまう。
「ルルーシュ。お願いだから」
しかし、スザクはひいてくれない。
「本当に食欲がないんだ……」
だから、先にスザクが行ってこい……とルルーシュは言い返す。そうしている間に、空腹を覚えるかもしれないから、とも付け加える。
「でも、ルルーシュ……」
ルルーシュが先に言ってきてくれないと安心できない、とスザクは反論をしてきた。
このままでは、ずっと平行線ではないか。
そんなことを考えてルルーシュが眉を寄せたときだ。
「ルルちゃんとスザク君、二人で行ってくればいいわ」
その時だ。不意に別の声が割り込んでくる。
「ミレイ」
どうやら、自分はかなり冷静さを失っているらしい。いくら相手がスザクや彼女でも、こんな風に他人が側にいるという事実に気が付かないなんて……とそんなことも思ってしまうのだ。
「バトレー将軍のご厚意のようですわ。名前を言って学生証を見せたらあっさりと案内してもらえました」
他のメンバーは受付で追い返されたが……と彼女は続ける。
「そうか」
バトレーにしても、ミレイは信頼できると認識しているのだろう。しかし、他の者達は自分の学友であってもと言うところか。
「と言うことで、ナナちゃんが心配なのは私も一緒。だから、安心して任せなさい」
ナナリーとクロヴィスのために体調を整えるのがルルーシュの義務だ、と彼女は言い切る。そのセリフはスザクと同じ内容だが、彼女の言葉であればすんなりと受け入れられるのはどうしてなのだろうか。
「スザク君。構わないから、ルルちゃんを連れて行って。あくまでも嫌がるようなら、抱えていってもいいから」
しかし、この一言を耳にした瞬間、その気持ちはあっさりとかき消される。
「ミレイ!」
「目立つわよ、ルルちゃん。だから、諦めて自分で歩いて行ってらっしゃいな」
まぁ、見ていて楽しいから喜ぶ人間は多いかもしれないが……と彼女は意味ありげな口調で告げた。その言葉に、ルルーシュはため息をつく。
「スザク、下ろせ」
他人の娯楽のネタになりたくはない。そう思って、ルルーシュはスザクにこう命じた。
「ルルーシュ!」
「一緒に食事に行ってやる! だから、下ろせ」
ナナリーが入院している病院であらぬ噂を流されてたまるか! とルルーシュは口にする。それが現実だとしても、そのせいでナナリーまであれこれ言われるのはかわいそうだ。それ以上に、今の状況でクロヴィス達の耳にそんな噂が届いたら、スザクの命が危ないだろう、とも付け加える。
前半のセリフでは不満そうな表情を作っていたスザクも、後半のセリフではいきなり笑顔になった。そのわかりやすさにルルーシュはこっそりと苦笑を浮かべる。
しかし、それはすぐにかき消される。
「……ちゃんと食べてくれるなら、ね」
下ろしてあげる、というスザクのセリフが気に障ったからだ。
「お前があれこれ言うなら、食わない」
このままここでナナリーを見ている、と口にする。
「ごめん、ルルーシュ。お願いですから僕と一緒にご飯を食べてください」
慌てたようにスザクがこう言ってきた。
「でないと、別の意味で僕が殺されます」
ルルーシュのファンはあちらこちらにいるから、と真顔で彼は付け加える。その表情に『それは誰だ』と迂闊に聞かない方がいいのではないか。そんな気持ちになってしまう。
「はいは〜い」
不意に割り込んできたミレイの声が、ルルーシュの思考を中断させた。
「痴話げんかはいいから、早くご飯を食べてきなさい」
この言葉に、ルルーシュは思わず脱力したくなってしまう。
「ミレイ……痴話げんか、というのは何なのだ?」
そんなことをしているつもりはない! とルルーシュは言い返す。
「やだ、ルルちゃん。本気で自覚していなかったのね?」
どう見ても、今の会話は痴話げんかにしか見えないわよ……と彼女は平然と笑い返してくる。
「それとも、どこが痴話げんかなのかを事細かにご説明した方がよろしいのでしょうか?」
今までの親しみに満ちた口調ではなく、かつてアリエス宮で顔を合わせていたときの口調でミレイは付け加えてきた。その瞬間、ルルーシュは首を横に振ってみせる。
「遠慮しておきますよ、会長」
彼女がこんな口調を作ったときは、自分をからかう絶好の口実を見つけたときだ、というのがほとんどなのだ。だから、それを口にされる前にさっさと逃げた方がいいだろう。そう判断をする。
「行くぞ、スザク」
そして、視線をわきで呆然としている彼に向けた。そのまま、その二の腕を掴む。
「ルルーシュ! ちょっと……」
歩き出したルルーシュに、スザクの方が慌てる。それを無視して、ルルーシュは大股でその場を後にした。
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07.07.20up
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