今頃、スザク達はどこまで進んだのだろうか。
それとも、もう戦闘に突入しているのか。
「……ダメだな……顔が見えないだけでこんな風に不安になるとは……」
寒いだけはない。スザクのことを考えるだけで無事でいるかどうかが気にかかって不安になってしまうのだ。
「ナナリー……」
言葉とともに、そうっと彼女の手を握りしめる。
容態が安定したからだろう。こうして側に寄ることを許されていた。
「早く、目を覚ましてくれ」
彼女の小さな手を自分の頬に押し当てながらルルーシュはこう呟く。
「スザクも兄上も……みんな、待っているから」
ひょっとしたら、それにあと二人加わるのかもしれない。
自分からすれば、会うのが恐いと思える彼女たちでも、ナナリーは違った意見を持っているはずだ。彼女は自分に優しかった兄姉の記憶しか持っていないはず。もっとも、それはそれで構わないとルルーシュは思っている。
「きっと、また昔のようににぎやかな時間が過ごせるよ」
間違いなく、ユーフェミアは押しかけてくるはずだ。だから、とルルーシュは目を閉じる。同時に彼女の手を握る指に少しだけ力をこめる。
「ナナリー」
そして、小さな声で彼女の名を呼んだ。
「……ナナリー?」
その時だ。
弱々しいながらもルルーシュの指を握りかえしてくる。
「ナナリー!」
意識が戻ったのか! とルルーシュは慌てて彼女の顔をのぞき込む。
彼女の双眸は固く閉じられたままだ。だから、それだけでは確認することができない。普段は気にならない――いや、気にしないようにしていると言った方がいいのか――その事実が今は恨めしい。
「ナナリー、俺だよ……ルルーシュだ」
兄上もご無事だから……と小さな声で付け加える。
本当は大きな声で伝えて安心をさせてやりたい。
しかし、今の自分たちの立場ではそれが許されないことだとわかっている。もちろん、ここにいるのが事情を飲み込んでいる者達だけであれば遠慮はしなかっただろうが。
死んだはずの皇子や皇女でも利用できるとなれば捨て駒としようとするのがブリタニアだ。
自分はまだいい。いやだとなれば逃げ出せばいいだけだ。でなければ、ブリタニアの不利益になることをさんざんやらかすか、だ。
しかし、自分で自分を守れないナナリーにそのようなことができるはずがない。
だから、とルルーシュは心の中で呟く。
今はこうして耳元で囁いてやるしかないのだ。たとえ、その事実がどれだけ口惜しいとしか言えない状況でも、である。
「頼むから、俺の声が聞こえているなら俺の手を握りかえしてくれ……」
そして、自分たちを安心させてくれ。そう付け加える。
この言葉に応えるかのように彼女の指が弱々しいながらもまたルルーシュの指を握りしめてきた。
「ナナリー! 気が付いたのか?」
ルルーシュの歓喜の叫びが病室内に響き渡る。それが聞こえたのだろう。看護士とおぼしきものが飛び込んできた。
「ごめんなさい。確認をさせて」
強引と言うほどではないが、この言葉とともにルルーシュの体をナナリーから引き離す。それでも病室の外にまで追い出さないのは、彼等なりの善意なのだろうか。
「ナナリーさん? 私の声が聞こえたら指を握ってくれるかしら?」
このような状況の時には専門家に任せるのが一番の得策だ。少なくとも、彼等はクロヴィス達の命令で最高の治療を施すためにこの場にいてくれるはずなのだし……とルルーシュは自分に言い聞かせるように呟く。
それでも、不安がぬぐえないのはどうしてなのか。
スザクとともにガラスの向こうからナナリーの様子を見ていたときにはこんな気持ちになったことはなかったのに。そんな風にも思う。
あるいは、スザクが隣にいないせいなのか。
「……早く戻ってこい……」
ルルーシュは無意識のうちにこう呟いていた。
体力があったからか――それとも治療が行われるのが早かったからか――クロヴィスはもうベッドの上に体を起こせるまでになっていた。
そして、その側にはユーフェミアが付き添ってくれている。もっとも、細かいことは彼女の側に付けられているコーネリアの親衛隊の一人がやってくれていたのだが。
それにしても、とクロヴィスは目を閉じながら呟く。ナナリーの意識はまだ戻らないのだろうか。このままではルルーシュまで倒れてしまうのではないか。そんな心配をしていたときだ。
「……本当ですか?」
医院長からの報告を聞いていたユーフェミアが喜色に富んだ声で彼に確認の声を投げかけている。
「はい。先ほど確認をさせて頂きました。まだ会話は無理ですが、意識ははっきりしていらっしゃいます」
こちらの呼びかけに反応を返すことはできる、とそうも付け加えているのがクロヴィスの耳にも届く。
「……医院長……」
そんな彼に向けてクロヴィスは声をかける。普段から比べれば本当に小さなものでしかないが、それでも医師にしてみれば十分聞き取れるものだったらしい。
「何でしょうか、総督閣下」
まさしく直立不動で彼は問いかけてくる。
「実はね……あの兄妹は私の知己なのだよ。だから、自分の目で確認をしたいのだが……いつなら、許可をもらえるかね?」
医院長の言葉を疑いたくはない。それでも、自分自身の目で確認しなければ安心できないのだ。
それに、兄としての言葉をかけることはできないかもしれないが、ルルーシュもいたわってやりたい。間違いなく、自分の存在も彼の心労の原因になっているはずなのだ。
「ですが……」
「わたくしからもお願い致します」
渋る医院長に向かって、ユーフェミアも言葉を投げかける。
「あの方が車いすを使っておいでだったおかげで、クロヴィスお兄さまはあれだけの事故にもかかわらずこの程度のお怪我ですんだ、と聞いております。ですから、せめてお礼の言葉を言わせてくださいませ」
自分は、いつまでこのエリアにいられるかわからないのだから。そうも付け加えられれば、医院長にしてもむげに断れないらしい。
「今しばらくお待ちを……あちらの担当のものと相談をして参ります」
おそらく、自分たちが赴いても大丈夫かどうかを確認をしに行ったのだろう。皇族二人の願いを拒むことはむずかしいのだから当然かもしれない。問題があると知れば、ナナリーの容態次第か。
「ユーフェミア」
体から力を抜きながらも、クロヴィスは彼女に呼びかけた。
「何でしょうか、お兄さま」
即座に歩み寄ってくるとユーフェミアはこう問いかけてくる。
「姉上に、連絡を頼んでも構わないかな?」
ナナリーのことで、と続けた。本人には無理でも、ダールトンかギルフォードに言付けられればいい。それだけで彼女も安心するだろう。そう思うのだ。
「わかりましたわ、お兄さま」
ユーフェミアもそうした方がいいと判断したらしい。即座に頷いてみせる。
「外にいる護衛の者に声をかければ、通信ができるところに連れて行ってくれるはずだからね」
こうも付け加えるクロヴィスに、彼女は頷いてみせた。
「でも、お兄さま」
だが、すぐに言葉を返してくる。
「何かな?」
あまりあれこれ言われても今は対処して上げられないのだが。そう思いながらも聞き返す。
「お一人で行かないでくださいませね。そんなことをしたら、わたくし、お姉様にあれこれ言いつけますわよ?」
だから、勝手にルルーシュ達の所に行くな、と彼女はクロヴィスをにらみつけてくる。
「……そんなことは心配しなくていいよ。私は一人ではまだ動けないからね」
誰かに連れて行ってもらわなければいけない。そういえば、彼女は悪いことを言ってしまったというように視線を落とす。
「取りあえず、姉上に連絡をしておいで」
弟妹に甘いのはコーネリアだけではなく自分もそうなのだな。そう思いながらクロヴィスは優しい声で彼女にこう告げた。
「はい。できるだけ早く戻って参りますから」
この言葉に、彼女はようやく行動を始める。病室から出て行く彼女の細い背中を見送りながら、クロヴィスはもう一人の妹とその兄の姿を思い出していた。
意識は戻ったが、目の前の小さな体に受けた衝撃は完全に消えたわけではない。だから、まだまだ、一般病棟へ移るのはむずかしいだろう。ナナリーの様子を診察した医師がこう説明してくれたのは、小一時間ほど前のことだった。
その後で、彼は誰かに呼ばれて病室を出て行った。
ひょっとしたら何かあったのだろうか。そうは思うのだが、確かめるためにこの場から離れるつもりはない。
それに何かあればちゃんと知らせてもらえるだろう。そう思っていた、というのも理由の一つである。
「……ぉ……」
ナナリーの唇から言葉ともうめき声とも判断できない音がこぼれ落ちた。
「どうした、ナナリー」
声をかければ彼女の唇が『お兄さま』と形作る。その後に『水』と続いた。
「喉が渇いたのか?」
優しく問いかければ彼女は小さく頷いてみせる。
「ちょっと待っていてくれ」
すぐに飲ませてやりたいのは山々だが、彼女の体調を考えればそうしていいのかどうかがわからない。だから、看護士の指示を仰ごうと思ったのだ。
それ以前に、この場には飲み物はないし……と思ってルルーシュは腰を上げる。
「今、看護士さんに聞いてくるよ。許可が出たら持って来るから」
だから、と言えばナナリーはまた小さく頷いてみせた。こんな風に聞き分けがいい彼女の性格がありがたいと思うと同時に、少し悲しいとも言える。彼女がどうしてこうなったかをいやでも思い出してしまうのだ。
「すぐに戻る」
そっと掌を撫でるとそのまま彼は看護士が控えている場所まで移動をする。
「すみません」
悪いとは思いながらも忙しそうな看護士に声をかけた。
「何かしら」
それでも、すぐに対処をしてくれるのはきちんと教育されているという証拠だろうと思う。
「妹が、水を飲みたい、と言っているのですが……」
飲ませてもいいのでしょうか、とルルーシュは言葉を続けようとする。
「まぁ。そういう欲求を告げられるようになったのね。もちろん構わないけど……ちょっと待ってくれるかしら。あれこれ飲ませない方がいいと思うの」
ここに必要な物は用意してあるから、と付け加えながら、彼女は戸棚の方に歩み寄っていく。そして、中からいくつかのものを取り出すと作業を始めた。あいにくと、ルルーシュからは彼女の体の影になって何をしているのかはわからない。
だが、振り向いた彼女の手には水が入れられた吸い口がある。しかも、氷が一つ浮かべられていた。
「これで、少しずつ飲ませて上げて。多分、一口飲めば満足すると思うわ」
残ったら、サイドテーブルの上に乗せておいてくれていいから。そういいながら、彼女はルルーシュの手にそれを渡す。
「ありがとうございます」
礼を口にすれば「当然の事よ」と彼女は微笑み返してくれる。それに軽く頭を下げてからルルーシュはナナリーの元へと戻った。
「ナナリー。水だよ」
そのまま飲み口を唇に当ててやれば、彼女は素直に口を開く。
こんな風にナナリーの世話をするのは初めてではない。
ブリタニアにいたころはもちろん、日本に来てからも何度か同じようなことを繰り返してきたからなれていると言っていいことだ。しかし、いつも自分一人ではなかったようにも思う。
いや、日本に来てから最初のうちは一人だったかもしれない。だが、すぐにスザクが側にいてくれるようになった。今朝までも、スザクは側にいてくれたし。
だから、こんな風に一人でナナリーの側にいるのは久々かもしれない。
「ミレイにも連絡をしておかないとな」
今思い出した、とルルーシュは小さな声で呟く。それを耳にしたからだろうか。ナナリーがルルーシュの手に触れてくる。
「もういいのかい?」
それにこう問いかければ、ナナリーは頷いてみせた。だが、すぐにまたルルーシュの手に触れてくる。
「今はまだ授業中だ。終わったころに連絡を入れてくるよ」
だから安心していい、と付け加えれば、ナナリーはほっとしたように微かな笑みを浮かべた。ルルーシュもそれを見て小さな笑みを浮かべる。その表情に、安堵を感じている自分がいることに、ルルーシュはもちろん気付いていた。同時に、何故か泣き出したい気持ちになってしまう。
その時だ。外から何か騒がしい気配が伝わってきた。ここにまでそれが伝わってくるのはよほどのことなのではないか。
「……何か?」
あったのか、ととっさにナナリーをかばうように体の向きを変える。しかし、視線の先でドアが開いた瞬間、彼の目は大きく見開かれた。
「何故、お二人が……」
何度か口をぱくぱくとさせた後でルルーシュは言葉を絞り出す。
彼の視線の先には車いすに乗せられたクロヴィスとそれを押しているユーフェミアの姿があった。
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07.08.24up
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