ユーフェミアの側にいた人物――おそらく、その物腰から騎士だろうと推測できる――がこの場から他の者達を追い出す。
「十五分経ったらお迎えに参ります」
 どうやら、事前に話が付いていたのだろう。医師も看護士も静かに病室を出て行く。ナナリーの体に付けられている機器はそのままだから、どこか他の場所からでもモニターできるのだろうか、とルルーシュは呆然としたまま考えてしまう。
「すまなかったね、ルルーシュ」
 掠れたクロヴィスの声がそんな彼の耳に届いた。
「いえ。ですが、ご用でしたら命じて頂ければこちらからお伺いしましたものを」
 こう言いながらもルルーシュは立ち上がる。それでも彼の側に歩み寄れないのは、ナナリーの手が自分の指を握りしめているからだろう。
「……ナナリーの容態も、確認したかったのだよ」
 自分のせいで彼女にこんな大けがをさせてしまったから……とクロヴィスは表情を曇らせる。
「お兄さま」
 そんな彼に、ユーフェミアがため息混じりに声をかけた。
「そのようなことをおっしゃらないでください」
 ルルーシュもまたこう告げる。
「ナナリーが悲しみます」
 さらに言葉を重ねれば、彼はますます表情を曇らせた。それでも口を開かない限りはナナリーにはわからない。だから、取りあえず妥協しようか、と勝手なことを考えてしまった。
「そうだね。ナナリーのおかげで無事だったことに感謝をしないといけないのだね、私は」
 クロヴィスの方もルルーシュ達が何を言いたいのか理解したらしい。すぐにこう言い直した。
 そして車いすのままナナリーが寝かされている治療装置の側に近づいてこようとする。
 それを見て、ルルーシュは取りあえず彼のために場所を空けようと立ち上がった。
 目が見えない分、聴覚が鋭いナナリーもその気配を察したのか、素直にルルーシュの手を掴んでいる指から力を抜いた。
 あるいは、ただ疲れただけなのかもしれない。それでも、クロヴィスのためにはそれでよかったのではないかとも思う。
「……ナナリー……」
 ゆっくりと手を伸ばして彼はナナリーの小さな手に触れた。
「もう二度と君をこんな目には遭わせないよ……」
 今までもそう思っていたのに、結局巻き込んでしまった。力のない私を許してくれ……と彼はさらに言葉を重ねる。
 そんなことは……と言いたいのだろうか。ナナリーは唇を振るわせる。
「クロヴィス殿下……」
 ここにいる者達だけであれば心配はいらないとは思う。それでも万が一のことを考えれば『兄』と呼ぶわけにはいかないのではないか。
「お兄さま。ナナリーが困っておりますわ」
 取りあえず、自分が言いたいことはユーフェミアが言ってくれた。その事実に取りあえず感謝をしておく。
「ルルーシュも、こう言うときにまで他人行儀はやめません?」
 それとも、自分たちが信用できないのか。彼女はそう問いかけてくる。
「ユーフェミア殿下。一民間人をいじめないでください」
 自分たちは皇族でもなんでもない、ただの民間人だ……とルルーシュは強調をする。それは今後も変わらない、とも。
「ルルーシュ!」
 ユーフェミアは抗議の声を上げた。
「俺もナナリーも、もう二度と皇族には戻りたくない。それどころか、できれば皇族とは関わり合いになりたくなかった……」
 それでも構わない。ただ、自分が顔を見に行くことだけは許して欲しい。どうしてもダメならば、無視してくれても構わないから。そういってくれたからこそ、クロヴィスに関しては信じてもいいと思えたのだ。
 だが、ユーフェミアがそうかと言えば、答えはわからないとしか言いようがない。
「もし、無理強いされたなら……ナナリーが退院したら、姿を消すかもしれないな」
 ナナリーと自分だけならば、何とでもなる。
 ルーベンに協力を依頼すれば、自分たちの居場所を隠してくれるだろうと、そう思う。
「ユーフェミア……ルルーシュ達の気持ちを汲んで上げてくれないかな?」
 クロヴィスも口を挟んでくる。
「本国に連れ戻されれば、二人は引き離されてしまうかもしれないんだよ?」
 ルルーシュの才能を考えれば、どこかのエリアに補佐として飛ばされるだろう。そしてナナリーは、何の後ろ盾もない少女だからこそ捨て駒として一番有効なのだ。関係が不安定な国へ人質という名で嫁がされるかもしれない。
 クロヴィスが口にした言葉は、まさしくルルーシュが危惧していたことだと言っていい。
「このエリアにいれば、私が総督である限り自由にすごさせてやれる。しかし、それはルルーシュがここにいることを知られていないことが前提になると思うよ」
 もっとも、君とコーネリア姉上にはばれてしまったし……ロイドにも知られている以上、シュナイゼル兄上に知られるのも時間の問題かもしれないが……とクロヴィスはため息を吐く。
「……その前に賄賂ですか、やはり……」
 プリンだけではなく、他にも何かを作ってやるか……とルルーシュはため息混じりに口にする。
「それが通用している間に、私も退院して総督の地位に戻れるよう努力をするよ」
 そうすれば、当面は今までのように暮らせるだろう。その間に、あちらこちらに根回しをしておけばいいだけだ……とクロヴィスは明るい口調で告げた。
 こうなれば、問題なのはやはりユーフェミアだろうか。
 そう考えながらそっと彼女の顔を盗み見れば、何やら考え込んでいるのがわかる。しかし、いくら考えても答えが見つからなかったのだろう。視線をルルーシュに向けてくる。
「ルルーシュ」
 そして、彼の名を呼んだ。
「何でしょうか、ユーフェミア殿下」
 彼女の今の表情から判断をして絶対に厄介なことを考えているに決まっている。そう思いながら聞き返す。
「ユフィです!」
 だから、自分の言葉の何を聞いていたのか。そういいたくなってしまう。
「学校の友人達にはそう呼ばせていました。現状ではわたくしの立場はまだ公になっておりません。ですから、そう呼んでください」
 そういう問題ではないと何度口にすれば彼女は理解をするのだろうか。
「それよりもルルーシュ。プリンや何かって……ルルーシュが作るのですか?」
 真顔でこう問いかけてくる。
「他に誰が作るのですか?」
 自分たちには使用人といえる存在は一人しかいない。だが、彼女にしても本来はミレイのためにルーベンが見つけてきたメイドなのだ。
 それでも、普段、彼女がいてくれていることでものすごく助かっていることも事実。
「自分で作らなければ、何も食べられないという状況にありましたからね」
 ナナリーと二人生きていくためには必要な知識だったから……と付け加えた瞬間、ユーフェミアが盛大に顔をしかめる。どうやら、自分の言葉がどれだけ無遠慮なものだったのかを理解したらしい。即座に作られた申し訳なさそうな表情に、相変わらずか……と心の中で呟く。
 自分たちがいなくなってから――いや、それだからだろうか――コーネリアがどれだけ彼女を大切に守ってきたのか、それだけで推測できた。同時にどうやって彼女のフォローをしようかと思う。結局、妹に甘いのは自分も同じか、と心の中で苦笑を浮かべた。
 同じ事を考えていたのだろうか。
「ルルーシュの手料理はとてもおいしいんだよ。ねぇ、ナナリー。二人とも退院できたらルルーシュに好きなものを作ってもらおうね」
 言葉とともにクロヴィスはそっとナナリーの手を撫でた。
「ご希望とあらば、そうさせて頂きますけど、ね」
 あまり手の込んだ料理はリクエストしてこないでくださいよ、とルルーシュは口にしてしまう。
「大丈夫だよ。この前、君が作ってくれたケーキがおいしかったからね。あれをまた食べたいだけだよ」
「……そのくらいでしたら」
 クロヴィスの退院祝いに作ってもいいだろう。いや、もう少しこったものでもいいのではないか。ルルーシュはそう思う。
「どのみち、ロイドにもスザクにも食べさせると約束していますから」
 全部まとめて作ってしまえばいいだけだ。ルルーシュはそんなことも考える。
「楽しみにしているよ」
 彼の言葉に、クロヴィスはふわりと微笑む。
「……ずるいですわ」
 小さな声でユーフェミアがこう呟く。
「何が、ですか?」
 いったい何が『ずるい』なのか、と思いながらも、ルルーシュは取りあえずこう問いかけてみる。
「わたくしも、ルルーシュの手料理を食べる権利があると思います」
 クロヴィスやナナリーはまだ我慢するとして、他の者達までもが食べられるというのであれば、自分だって……と彼女はさらに言葉を重ねてきた。
「……ユーフェミア、それは違うと思うのだが……」
 ルルーシュの手料理はそれこそレアものなのだぞ、とクロヴィスは言い返す。
「バトレーですら、先日のケーキ以外口にしたことがない」
 この言葉にルルーシュは思わず首をかしげてしまった。
「……そういえば、そうでしたね」
 誘っても、彼の方が遠慮をしてしまう。何よりも、クロヴィスが自分たちの元に訪れているときには事情を知っている彼が総督府に残らざるを得ないのだ。
「なら……兄上の退院祝いのついでに、彼に苦労をかけたと言うことでまた何か作りましょう」
 今もきっと、胃を抑えながら仕事をしているような気がする……とルルーシュは心の中だけで付け加えた。
「そうしてやってくれるかい?」
 今度のことで、彼に予想外の苦労をかけているようだからね……とクロヴィスも頷いてみせる。
「はい」
「ですから! どうしてわたくしには作ってくださりませんの?」
 自分だって食べたい! とユーフェミアは頬をふくらませた。
「……ですから、本当に手料理なんです。お口に合うとは思えません」
 コーネリアが溺愛していたから、彼女は本当に最高の料理しか食べたことがないはず。自分が作ったものであれば失敗作でも『おいしい』と言いそうなクロヴィスとは次元が違うのではないか。そんなことすらルルーシュは考えてしまう。
「味なんて二の次です! ルルーシュがわたくしのために作ってくれたと言うことの方が重要なんです!」
 だから、と口にする彼女の声が室内に響き渡る。
「……ここは病室ですよ」
 もう少し声を潜めてくださいますか? とルルーシュはため息ともに口にした。
「あっ……」
 それを耳にした瞬間、ユーフェミアは『しまった』というような表情を作る。どうやら、興奮のあまり、彼女はその事実を忘れていたようだ。
「……でも、食べたいんですもの」
 それでも自分の主張を曲げないあたり『流石だ』と言っていいものなのかどうか。
「姉上に相談されてから、にしなさい。結論は。そもそも、君はいつまでこちらにいられるかわからないだろう?」
 ルルーシュにしても、ナナリーが退院するまではその気にならないだろうし……というのはまさしく正論なのだろう。普段は頼りないと思う兄だが、無駄に総督の地位にいたわけではないようだ。
「……わかりました。お姉様がお戻りになられたらお聞きしてみます」
 まるでこの一言を彼女が口にするのを待っていたかのように、ドアがノックされる。
「どうやら、時間のようだね……ナナリーの容態がもう少しよくなったら、また来るよ」
 その時までには、自分で歩けるようになってるから……とクロヴィスは口にした。
「お待ちしております」
 こう言いながら、ルルーシュは彼の車いすをそうっと押す。
「ルルーシュ」
「外までですから」
 だから、遠慮をしないで欲しい。ルルーシュはそうも付け加えた。


 しかし、これがある意味、聞かなくていい一言を聞くきっかけになってしまったことも事実。
「……スザクが、行方不明?」
 何故、という言葉が真っ先に脳裏に浮かぶ。
「ルルーシュ!」
 体から力が抜ける。
 そう認識した次の瞬間、ルルーシュはその場に崩れ落ちていた。




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