咲世子がいてくれるとはいえ、普段は二人きりだ。だから、必要がない限り、ルルーシュはリビングで過ごすようにしている。それはナナリーも同じだと言っていい。
 今日も二人は静かに同じ場所でお互いの存在を感じながらそれぞれの別のことをしていた。
「お兄様」
 本を読んでいたルルーシュの耳にナナリーの声が届く。
「何だい、ナナリー」
 紙面から顔を上げて彼女の方へと視線を向ける。そうすれば、ナナリーは手にしていたものを自分の方へと向けてみせた。
「これ、おかしくありませんか?」
 そしてこう問いかけてくる。
「ハンカチか?」
「えぇ……クロヴィスお兄様に差し上げようかと思いまして」
 お帰りになったら、また顔を見せてくださるでしょうから……とナナリーは微笑む。その時に、たくさんおみやげを持ってきてくださるでしょうし、とも。そんな彼女の言葉に、ルルーシュも苦笑を浮かべる。
「そうだな。兄上なら、そうなさるか」
 ミレイが余計な事を吹き込んでくれたしな、と自分のことを棚に上げてルルーシュは口にした。
「お兄様もそう思われますでしょう? でも、ナナリーは、お兄様と違ってクロヴィス兄様のお仕事のお手伝いはできませんから」
 だから、せめて……とナナリーは付け加える。
「お前は、そんなことを考えなくていいんだよ、ナナリー」
 本を置くと、ルルーシュは立ち上がった。そして、そのまま彼女の側に歩み寄っていく。
「それに、ナナリーは十分兄上のお役に立っている」
 そうっと彼女の側に膝を着くと、刺繍枠を持っている手に自分のそれを添えた。
「お兄様」
「ナナリーが微笑んでいられる世界を作ることが、兄上の目標だそうだ」
 それが他の人にとっても住みよい世界だと言うことだろう? とルルーシュは付け加える。
「何よりも、ナナリーが兄上のためにあれこれしてくれることが嬉しいと、そうおっしゃっていたよ」
 だから、もっと自信を持っていいのだ……とルルーシュは優しい口調で告げた。
「そうなのでしょうか」
「もちろんだよ。第一、兄上のためにナナリーは一生懸命、自分にできることを考えている。それが一番だ、と俺は思うよ」
 刺繍も綺麗にできている、とそっと付け加えれば、ようやくナナリーの口元に微笑みが浮かんだ。
「お兄様がそうおっしゃってくださるなら、大丈夫ですね」
 これに関してはルルーシュは嘘はもちろん、甘い評価も口にしないから……とナナリーは口にする。
「……そうだったか、な」
 自分では、いつでもナナリーにだけはやさしいつもりだったのだが、と心の中で呟く。
「そうですわ。おかげで、ナナリーは刺繍も上手になりました」
 自分でできることが増えていくのは嬉しい、と彼女は付け加える。
「そうだな。今度は、レース編みにでも挑戦してみるか? ナナリーの記憶力なら十分できると思うぞ」
「はい。教えてください」
 そうすれば、刺繍だけではなく縁飾りも自分でできるようになるから、とナナリーは嬉しそうに口にした。
「綺麗な縁飾りがついている方が、クロヴィスお兄様に喜んで頂けるでしょうし」
 その言葉に、ルルーシュは苦笑を浮かべた。
「そんなことはないよ、ナナリー。お前が一生懸命作ったものであれば、兄上はどんなものでも喜んでくださるよ」
 ナナリーが作ってくれたという事実が、彼にとっては一番重要なのだから、とルルーシュは付け加える。
「でも、兄上は美しいものがお好きだから……ナナリーが努力するのはかまわないと思うぞ」
 そして、上手にできれば、きっと彼はもっと喜んでくれるだろう。そういって彼女の手をそうっと撫でた。
「でも、今回はこれで我慢して頂こう。編み物は、これから覚えるのだしね」
 咲世子さんもきっと付き合ってくれるよ……と告げれば、ナナリーは小さく頷いてみせる。
「わかりましたわ、お兄様。私、頑張って覚えます」
 だから、教えてくださいね……と続けるナナリーの手をルルーシュはしっかりと握りしめてやった。


 いい加減、エリア11に帰りたい。そして、ルルーシュとナナリーの顔を見ながらお茶をして心の平穏を得たい……とクロヴィスは心の中で呟いてしまう。
 ここにいるのは、ほとんどが自分の兄弟達だ。そういう意味では、あの二人と何の代わりもない。だが、彼等と違って、隙あらば自分の足を引っ張ろうと考えている者達ばかりだと言っていい。
 もちろん、例外もいる。
 しかし、そのようなものたちとはこのような場ではなく、もっと別の場所で話をしたいと考えても罪はないだろう。
 そんなことを考えていたときだ。
「そういえば、クロヴィス」
 不意に、隣にいたシュナイゼルが声をかけてくる。
「何でしょうか、兄上」
 にこやかな表情をとっさに作ると、クロヴィスは聞き返した。
「そんな風に感情を偽らなくてもいいよ。私も、少し辟易としているからね」
 コーネリアにいたってはその感情を隠してもいないよ……と付け加える彼に、クロヴィスは困ったような表情を作る。
「コーネリア姉上でしたら、あのような態度でも回りの者達に許されるでしょうが……私はそういうわけにはいきませんから」
 流石に、と告げればシュナイゼルは小さなため息をつく。
「君はもう少し、自分の立場を自覚した方がいいと思うのだがね」
 継承権で言えば、自分やコーネリアに次いで高位なのだから……と彼は口にする。
「それに、最近はエリアの統治も成功しているようだね。誰かいいブレーンでも手に入れたのかい?」
 なかなか的確な――とは言っても、多少甘さを感じるが――政策を打ち出しているようだが、と彼はさらに言葉を重ねた。
「正式なブレーンではありませんが……」
 彼をほめられて嬉しくないわけではない。だからと言って、本当のことを言えるはずもなく、言葉を濁す。
「正式ではない?」
 しかし、それが逆に兄の興味をひいてしまったようだ。その事実に、クロヴィスは小さなため息をつく。
「えぇ。なかなか優秀な人物なのですが、官僚達が受け入れてくれそうにないので。取りあえず、非公式に協力をさせています」
 ブリタニアの血を持っているだけでは……と付け加えることで、言外に純血ではないのだとにおわせる。
「あぁ……それならば、確かに表には出さない方がいいだろうね」
 それだけ優秀なのであれば、他人にねたまれるだろう。そして、つけいる隙があるとしたら、それで失脚をさせられるかもしれない。それだけならばまだしも、暗殺の可能性も否定できないだろう……とシュナイゼルは頷いてみせる。
「何よりも、取られる可能性があるからね」
 そういう人物でも、有能であれば欲しがるものは多いだろう……と彼は続けた。
「兄上、もですか?」
 ひょっとして、狙っているのは……とクロヴィスは問いかける。
「気にはなるよ?」
 自分の所であれば、別段、他の血が入っているからと言って気にするものは少ないだろう。重要なのは、実力だけだ……と言いきれる彼ならば確かに、そうなのかもしれない。
「でも、上げません」
 やっと、自分に心を開いてくれるようになったのだから……とクロヴィスは本気で言い切った。相手がシュナイゼルである以上、そんな態度を取ってはいけないとわかっていてもだ。
「おやおや。私が君のものを取ると思っているのかな?」
「……兄上は、有能な人材を手元に集めるのがご趣味ではありませんか」
 だから、安心はできない……とクロヴィスは言外に付け加える。相手が他のものであればともかく、今、自分たちの話題にあがっているのは《ルルーシュ》なのだ。まだ、彼が他の兄弟達に自分の存在を知られたくないと思っている以上、相手がシュナイゼルでも隠し通さなければいけない。
「もし、取り上げられたら、私は失敗するかもしれませんね。兄上にはその方がよろしいかもしれませんが」
 後半は自分でも言い過ぎたかもしれないとはわかっていた。それでも、警戒心から出てしまった言葉を、今更なかったことにはできないだろう。
「クロヴィス」
 小さなため息とともに、シュナイゼルが彼の名を呼ぶ。
「私がそういう人間だと?」
 その声に微かに怒りが滲んでいるのを、クロヴィスは感じてしまった。
「いえ。ただ、あちらこちらでイヤミを言われていたので、少し神経がささくれ立っていただけです」
 自分がそれなりに功績を挙げつつあるのが気に入らないらしい、とクロヴィスはもっともらしい言葉を口にする。
「そうか。だからといって、八つ当たりはやめておいてくれないかな?」
 まぁ、私にだけそうするというのなら、可愛いと思えるが……とシュナイゼルは微苦笑を向けてきた。しかし、その言葉は自分がルルーシュに向かって口にしたそれとそっくりだとも思う。
 やはり自分たちは兄弟なのだな、と改めて認識をさせられてしまった。
「はい……申し訳ありません、兄上」
 確かに、こんなことで仲違いをしてしまっては、他のものの思惑通りになってしまうかもしれない。そう判断をして、素直に謝罪の言葉を口にする。
「わかってくれればいいよ」
 優しい微笑みとともにシュナイゼルは頷いてみせた。
「それでは、そろそろ抜け出すかい? 久々にチェスをするのもいいだろう」
 少しは上達をしただろうか、と彼は問いかけてくる。
「どうでしょう……残念ながら、最近は相手をしてくれるものもおりませんから」
 ルルーシュ達の元に足を運んだときに、彼が付き合ってくれるくらいだ。もちろん、再会してからも自分はいまだに彼に勝てたことはない。目の前の相手には、既に何連敗しているのかなど、数える気にもならないほどだと言っていい。
「そうか」
 クロヴィスも忙しいのだからしかたがないね、とシュナイゼルは口にした。
「こう言うときに、ルルーシュがいてくれればよい、と思うよ」
 さらにこうも付け加える。
「兄上?」
「私と互角とまではいかなくても、楽しませてくれたのは、あの子だけだからね。あの時、死んだと聞かされてはいるが……私は今でも信じていないよ」
 君もそうだろう? とシュナイゼルは確認をするように問いかけてきた。
「もちろんです……時間を見て探させてはいるのですが……」
 まったく痕跡が見つからないのだ。それが逆に、あの二人が生きているという可能性を伝えているような気がしてならないのだ。シュナイゼルの言葉に、クロヴィスはそう言い返す。
 実際、そう思っていたのだ。
 だからこそ、必死に探させていた。それでも見つからなくて、諦めけたときだったろうか。アッシュフォードから内密に連絡があったのは。
「ただ……いまだに姿を見せないのは私たちを恨んでいるからかもしれません」
 あの子達を守れなかった自分たちを、と再会したときのルルーシュの様子を思い出しながら付け加える。
「だからこそ、余計にエリア11をよい場所にしようと思うのですよ、兄上」
 そうすれば、あの子達も姿を見せてくれるかもしれない。クロヴィスは少し寂しげな微笑みを兄に向けた。
「そうだね。その時は、私にも連絡をおくれ。すぐにそちらに向かうよ」
 そして、二人であの子達に謝ろう……と彼は同じような微笑みとともに言い返してくる。
「と言うことで、逃げようか」
 皇帝陛下も退出されたようだし……と言われて、クロヴィスは頷き返す。そして、そのままそっと立ち上がった。




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07.04.14 up