バラの鉢を持ってマリアンヌの墓へと歩み寄っていく。
「クロヴィス?」
 そんな彼の背中に声が投げかけられた。その声の主が誰であるのか、確認しなくてもわかる。
「コーネリア姉上。姉上も、マリアンヌ様の所へ?」
 親しげな――しかし、礼節を守った――微笑みを向けながら、こう問いかけた。
「あぁ……午後には戻らなければいけないからな。お前もか?」
 コーネリアが任されている地域は自分が任されているところよりもまだまだ不安定だ。だから、本来であればこちらに足を運ぶ時間も惜しいと思っていたのではないかとそう思う。
「私は、夜には出発の予定です」
 それに比べて、自分はたんにあの二人に会いたいから……と言う理由で早々に帰るというのは申し訳ないとも考えるのだ。それでも、この場所にいつまでも留まっていたくないという気持ちも抑えきれない自分を否定できない。
「そうか。では、お互い、またしばらく会えないな」
 いつもの自信にあふれた笑みを口元に刻みながら、コーネリアはこう言ってくる。
「そうですね。まぁ、姉上への補給物資は、私の所からお送りすることにもなりますし……時には、その査察という名目で息抜きにおいでください」
 実現するかどうかはわからない。だが、その時であれば、あの子達にこっそりとあわせてもいいように思う。
「そうだな。たまには部下達にも羽を伸ばさせたい。今のエリアを平定し終わったら、その時にはみなで押しかけさせて貰おう」
 コーネリアが笑みを深めると言葉を口にする。
「その時は歓待させて頂きますよ、姉上。日本酒、というのもなかなか趣のあるものですからね」
 ダールトンあたりであれば喜ぶかもしれない。バトレーがそういっていた……と付け加えた。
「ほぉ。そうか。それは楽しみだ」
 ナンバーズに入れ込みすぎるのは関心しないが、だからといって彼等が今まで築いてきた文化を完全に否定する気にはならない、というクロヴィスの気持ちも理解できる。コーネリアはそういう。
「姉上にそういって頂けて嬉しいです」
 それにクロヴィスは微笑みを返す。
「何。時には妥協も必要だと言うことだ。それに、うまいものはナンバーズが作り上げたものだとしても否定することはなかろう」
 コーネリアらしい理屈だな、とクロヴィスは思う。だが、それでも自分たちの政策が完全に否定されなかっただけでもいいか、と思い直す。
「それも、ナンバーズが?」
 コーネリアがクロヴィスの手の中にある鉢に視線を向けるとこう問いかけてきた。
「はい。もっとも、育てたのは彼の地の学生ですが。先日、アッシュフォード家が運営している学園に視察に行ったときに、貰ったのですよ」
 花弁の色が懐かしい者達を思い起こさせたので、マリアンヌに供えたくなったのだ……と言葉を返す。
「確かに……あの子達の瞳の色だな」
 本物であればもっとよいのだろうが、と少しだけ悲しげな口調でコーネリアは告げる。
「いっそ、父上がルルーシュに継承権を与えなければ……と思うこともある。そうであれば、私もシュナイゼル兄上も、もっと表立ってあの子達を守れたものを」
 なまじ、ルルーシュが相続権を与えられていたからこそ、自分たちは動けなかったのだ。
「私も、同じ気持ちです」
 それだからこそ、堂々と――とは言えないが――何のためらいもなくあの二人を守れる今の立場はありがたい。クロヴィスは心の中でそう付け加えた。
「だから……もし、あの子達が生きていて……皇族に戻ることを拒むようでしたら、あるいは隠してしまうかもしれませんね」
 そうすることで、あの二人が平穏に暮らしていけるのであれば……と本音を口にしてしまう。
 すぐにその事実に気付いて、クロヴィスは『しまった』と顔をしかめた。彼女にそのようなことを言えば、間違いなく叱咤されるだろうと思ったのだ。
「どのような形にしても、あの二人が帰ってきてくれるのであれば、私も同じ事を考えるかもしれないな」
 だが、何故かコーネリアは怒る代わりにこんな言葉を口にした。
「生きてさえいてくれればいい。最近はそう思うのだよ」
 少し、疲れているのかもしれないな……と彼女は苦笑を浮かべる。
「では……イレヴン達が作った物でよろしければ、おいしいワインと日本酒を任地に送らせて頂きますよ」
 少しでも気晴らしをして頂けるように……とクロヴィスは付け加えた。
「期待していよう」
 コーネリアが頷いたとき、ちょうどマリアンヌの墓の前にたどり着く。それに気付いた瞬間、二人とも表情を引き締めた。


「……ついてないな、本当に」
 ルルーシュは自分が現在置かれている状況を正確に認識した上でこう呟く。
 ナナリーにレース編みを教えるために必要なものを買いに出たのが昼のこと。それなのに、既に窓から見える空には星が瞬いている。しかも、自分がこうして窓際にいるのは星を見るためではないのだ。
 自分たちをこの場に拘束している者達――はっきり言えば元日本軍人のテロリストだ――が外からの狙撃を怖れてこの場にいたブリタニア人の民間人を、こうして盾にしているのである。
 はっきり言って、下種としかいいようがないな……とルルーシュは心の中で呟く。
 自分たちの主義主張を口にするのは当然の権利だ。それが、ブリタニアから自国を取り戻そうと言うものでも、納得できる。
 だからといって、力無き者達を巻き込むことは許されることではないだろう。
 ブリタニア軍が、大人しくしているのは、間違いなく民間人がここにいるせいだ。いや、あるいは自分がいるせいかもしれない。外からはっきりと見える位置にいる以上、バトレーであれば気付くであろう。
 自分がここにいることに気づいているものが彼だけならばいい。
 ナナリーの耳にさえ入らなければ、余計な心配をさせずにすむだろう。
 それに、クロヴィスはともかく、その配下のブリタニア軍は無能ではないはず。バトレーにしても技量はともかく、作戦の立案及び指揮に関しては皇族に仕える者達の中でも指折りの存在であるはずなのだ。
 何よりも、ここには自分がいる。
 自分に対する感情はともかく、クロヴィスに対する忠誠心は疑いようがない。そして、そのクロヴィスが自分たちをどれだけ大切に思っていてくれているかも、彼は知っているはずなのだ。
 だから、細心の注意を払って救出作戦を練っているのだろう。
 同時に、現在、この地にあの異母兄がいなくてよかったかもしれないとも考える。彼がこの場にいれば、自分を一秒でも早く救い出そうとして無理を通そうとするに決まっているのだ。それでは、バトレーをはじめとした軍の者達がゆっくりと作戦を練る時間を得られないだろう。それでは、間違いなく失敗するに決まっている。
 しかし、とルルーシュは小さなため息をつく。
 あまり時間をかけられても困るのだ。
 自分は、このような状況でも耐えられるように教育されていた。いや、そうでなければあの宮殿の中で生きていることができなかった……と言うべきか。それに関してはしかたがないことだ、とわかっている。
 だが、他の民間人達は違う。
 中には、まだ幼いと言える子供達もいる。そんな彼等が、この状況でいつまでも耐えられるものではないだろう。事実、既に視線が虚ろになっているものも見受けられるのだ。
 これで、後一押し、何かがあれば間違いなくパニックが起きる。
 その時、目の前のテロリスト達はどうするだろうか。
 連中にしてみれば、ブリタニア人であるだけで《罪》らしいしな……と昔、自分たちが投げつけられた言葉をルルーシュは思い出す。それでも、ブリタニアの――父の元に帰るよりはマシだとそう思っていた。それに、そんな感情を自分たちにぶつけてきたものが全員ではないのだ。中には、他の感情を向けてくれた者達もいた。
 だから、自分は彼等を完全に見捨てられないのだろう。
 それと同じように、この場にいるブリタニアの民間人達も見捨てられない。
 では、どうすればいいのだろうか。
 そうは考えても、今の自分には何の力もない。そのようなものはいらない、と思っていた。しかし、実際にこういう場面に直面すれば欲しいと思ってしまう。だが、それを手にすればしたで、きっと重荷に感じるんだ……とルルーシュは心の中で付け加える。
 それでも、ナナリーを悲しませるよりはマシなのだろうか。
 答えはまだ当分、見つからないようだった。


 そのころ、ルルーシュの予想通りバトレーは必死に救出作戦の指揮を執っていた。
「何があっても、民間人に一人の死者を出してはならぬ。そのようなことになれば……他の皇族の方々からクロヴィス殿下が何を言われるかわからぬぞ」
 民間人とはいえ、ブリタニア人だ。その者達を多数テロリストに殺されたとあれば『無能』と囁くぐらいのことはするだろう。
 それは、自分たちの評価にもつながる……と付け加えたのは他の者達を鼓舞するためだ。実力勝負の軍人であるとはいえ、仕える主の評価が自分たちの名誉にもつながるのがブリタニアの習い。それ故に、彼等には本気で対策に当たって貰わなければならないのだ。
 ルルーシュの存在を明かすことができるのであれば、もっと簡単ではないのか。そう囁く声がバトレーの心の中にもある。だが、ルルーシュだけではなくクロヴィスもそれを隠そうとしているのだ。そして、彼等が自分に向けてくれている信頼を裏切るわけにはいかない。
 だから、彼の存在を秘したまま作戦を成功させなければいけない。
 そう考えるだけでバトレーの背筋はさらに伸びた。
「……バトレー将軍」
 部下の声が耳に届く。
「配置が完了致しました」
 その声に彼は頷いてみせる。
「くれぐれも、民間人を一人も殺すな」
 くどいかもしれない。そう考えながらも、バトレーはさらに念を押す。
「もちろんです。名誉ブリタニア人どもには、自分の身を盾にしてでも民間人を守れと命じてあります」
 しかし、この言葉に彼は目をすがめた。
「ナンバーズ、だと?」
 この作戦に名誉ブリタニア人を参加させているというのか……と言外に非難を告げる。
「心配いりません。不審な動きを見せたときには、かまわないから撃ち殺せ……と命じてあります。あやつらにしても、このたびのことは本心から軍に忠誠を誓っているかどうかの踏み絵となっているだろうとわかっているはずです」
 普段であれば、すぐに納得できたかもしれない。
 だが、ルルーシュの命、というある意味至高の存在がかかっている今回ではそうはできるはずもないだろう。
 だが、今更作戦を変更するわけにも行かない。
 おそらく、ルルーシュ以外のものは――テロリストも含めて――精神的に限界のはずだ。
「わかった。では、作戦を開始せよ!」
 こうなれば、ブリタニアに忠誠を誓ったという彼等の存在を信じるしかないだろう。そう判断をしてバトレーはそう命じる。
「Yes,my lord」
 それが、作戦開始の合図だった。


 いったいいつの間に天井裏に潜んでいたのか。
 いきなり目の前に現れた者達に、流石のルルーシュも目を丸くしてしまった。
 それ以上に驚きを隠せなかったのはテロリスト達だっただろう。自分たちを守るはずの壁の間に、いきなり障害が現れたのだ。
「抵抗をしなければ、命だけは保証してやろう!」
 指揮官らしき男がこう告げる。もちろん、相手が聞き入れないと言うことはわかっているはずだ。
 こう言うときに無駄な矜持を見せるのが日本軍人というものらしいし……とルルーシュが相手の動きをにらみつけたその瞬間である。
「我々は、ブリキ野郎の情けなど受けぬ!」
 こう言いながら、あるものを胸元から引っ張り出した。
「手榴弾?」
 だから、どうして……とルルーシュは叫ぼうとする。しかし、それよりも早く、男はピンを引き抜いてしまった。
「民間人を守れ!」
 隊長の声が響く。それに、ルルーシュの目の前にいた兵士が振り向いた。しかし、何故か相手はルルーシュの顔を見た瞬間、驚いたように動きを止める。
「投げたぞ!」
 だが、このセリフが誰かの口から出た瞬間、兵士ははじかれたように行動を再開させた。
「危ない、ルルーシュ!」
 懐かしい声が耳に届く。それが誰のものであったのかを思い出す前にルルーシュは飛びついてきた兵士の腕に抱き込まれる。そのまま床に転がった。
 一瞬遅れて、放り出された手榴弾が爆発をする。
 周囲に悲鳴が響き渡った。




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07.04.26 up