何で、俺が魔王の花嫁?

003



 いつしか眠っていたのだろう。気がつけば部屋の中はランプの明かりで満たされていた。
 しかし、俺が眠っていたのにどうして明かりがついているのだろう。そう思いながらゆっくりと視線を移動させる。そうすればソファーに座っている人影を見つけた。
「エレーヌ。目が覚めたのか?」
 俺の視線に気づいたのか。その人物はふっと笑ってみせる。エレーヌの髪と同じ白金のそれがランプの光を受けてきらめいた。
「お、とう……さ、ま」
 なんとか言葉を絞り出す。
「無理はせずともよい」
 そう言いながら父はそっと俺のほほをなでてくれた。彼は今《王》ではなく《父》としての彼なのだろう。そうやって場によって自分の言動を分けなければいけないのはストレスではないのか。それとも幼い頃から使い分けていればなれるものなのだろうか、とふっと疑問がわいてくる。しかし、それを伝えることはできない。
「后も先ほどまでいたのだがな。疲れていたようなので先に休ませた」
 さすがに此度のことは答えたらしい。その言葉に俺は少しだけ眉根を寄せる。
「そなたが悪いわけではない。そなたは巻き込まれただけだ」
 この言葉は一見、俺に向けてのもののように思える。だが、実際には自分に言い聞かせているのではないか。
 そうだとするのならば、なぜなのだろう。それを問いかけたいが、今の自分の外見年齢ではそんなことを考えることはできないはず。違和感をもたれないためにもそれは封印した方がいいだろう。
「疑問に思っていることもあるだろう。だが、今は養生することを優先せよ」
 よいな、といわれて首を縦に振ってみせる。
「后には明日には会えよう。それまではゆるりと眠るがいい」
 今までさんざん寝てきたのだから眠れないのではないか。そう思うが彼がその手のひらで目元覆ってくればあっさりと眠気が押しかけてくる。きっと、それは体力を回復させようとしているからだ。そんなことを考えながら、俺はまた眠りの中へと落ちていった。

 安らかな寝息を立てるエレーヌを見つめる。
 自分たちの娘として生を受けてまだ五年。
 ただ一人の王女として慈しんできたものを、とジョフロアはため息をつく。
 それなのに、どうして世界は愛し子にこんな運命を与えたのだろうか。思わず世界を恨みそうになってしまう。
「……だめだな」
 このままではエレーヌの眠りを妨げてしまう。だから、とジョフロアは彼女から離れ、隣の部屋へと足を向けた。
「……陛下……」
 そこには目を腫らしたエリザベートがいた。
「待っておったのか」
「はい……どうしても気になって」
 そう告げたエリザベートの隣にはユベール達の姿も見える。その表情は誰もが暗いものだ。おそらくあちらの部屋に入ってこなかったのはエレーヌを心配させないようにという心遣いからなのだろう。
「明日の朝には会えよう」
 ジョフロアはそう口にする。
「本当に、ですか?」
 ユベールが即座に問いかけの言葉を投げかけてきた。
「あの子が消えてしまうことはありませんか?」
 さらに彼はそう続ける。
「わからぬ」
 それはあの子に印を刻んだもの以外誰にもわからないだろう。
「もし、あの子が今消えていたとしても、それはあの子の運命だ。我らには止めることはできぬ」
「父上!」
「仕方があるまい。この世界は温室だ。王族とは、その温室の中の管理者よ。外のことには何の力も持たぬ」
 温室に被害が及ばないのは外を守る魔族がいるからだ。そうである以上、彼らは温室の中にあるものを手にする権利がある。それが何であろうとも、守られているものには異を唱える権利はない。
「それでは、父上はあの子を見捨てるとおっしゃるのですか?」
 こう問いかけてきたのは次男のユーグだ。
「見捨てるわけではない。ただ、優先順位があるといっている」
 ため息とともにジョフロアは言葉を口にする。
「私と手、一日でも長くあの子とともに過ごしたい。しかし、あの方々の意思には逆らえぬ」
 逆らった結果、世界に混乱をもたらすわけにはいかないのだ。
「私たちは王族です。優先すべきは家族ではなく民なのですよ」
 エリザベートが涙に濡れたほほを隠さずにそう告げる。
「私たちの一時の感傷でこの世界に住むすべてのものを危険にさらすわけにはいきません。私たちはこの世界に生まれ出でてより一度も戦ったことがないのですよ?」
 穏やかに健やかに過ごせばいい。そして、感謝と畏敬の念を世界の外で自分たちを守ってくれるもの達に捧げる。それが彼らの力になるのだ。
「今、私たちにできるのは、あの子の前で悲しい表情を作らぬことです。私たちと離れたときにあの子が覚えているのは笑顔だけでいいではありませんか」
 母としてはいろいろと苦しい思いを抱いていることだろう。だが、きっぱりと言い切るエリザベートは間違いなくこの国の王妃だ。
「人とはそれほどまでに弱いものなのでしょうか」
 三男のアンリがこう問いかけてくる。
「箱庭の中ではもっとも知恵を持っているだろう。だが、外では違う。いずれ、そなた達はそれを思い知ることになる」
 王族の男であるが故に、とジョフロアは告げた。
 王族の男と神官として認められた存在は一生に一度だけ箱庭をで、その外で行われている光景を目にすることがになる。そのときに強い心を持っていられるものだけが王族として認められるのだ。
 あのとき見た光景をジョフロアは今でも忘れていない。だからこそ、エレーヌにあの印が現れたとき、真っ先に悲しみ、同時に彼女を失う痛みに耐えられたのかもしれない。
「……人智を越えた存在なのだよ、魔族というものは。そして、そんな魔族に『人間を守れ』と命じられた神もな」
 そうである以上、自分たちは受け入れるしかない。そうしなければならないのだ。そう続けた言葉は、ある意味、自分に向けたものだったのかもしれない。
「ただ、願わくばあの子が少しでも長く我らの元にとどまってくれればよい」
 それは父としての本音だ。
「魔王様もそう望んでいらっしゃいます」
 いきなり聞き覚えのない声が割り込んでくる。
「何者!」
 とっさにユベールとユーグがジョフロアと声の主の間に割り込んだ。
 だが、すぐにその動きが止まる。
 視線の先にいたのは黒い髪に薄く灰色がかった紫色の瞳をした女性がそこにいた。その身には一分の隙もなくメイド服をまとっている。
 何よりも特徴的なのは彼女の頭の両側に存在しているくるりと丸まった角だろうか。
「……魔族……」
 ジョフロアのそのつぶやきにその魔族の女性はふわりと笑みを作る。
「魔王様より未来のお后様の護衛とそば仕えにと使わされましたモーブと申します。以後お見知りおきを」
 優雅な仕草で彼女は淑女の礼をとった。だが、誰もそれを感心する余裕はない。
「魔王様の、后?」
 ユベールが呆然と繰り返す。
「はい。エレーヌ様は魔王様がお后として見初められた方にございます」
 即座にモーブはそう口にする。
「あの方の魂の美しさに一目惚れされたそうで。近々、神官の方へと伝えられるおつもりだったそうです」
 その前に彼女の命が脅かされた。だから、速やかに印をつけ、その命を守ったのだとか。
 同時に、同じことがまた起きないとも限らない。
 そのことを心配した魔王が神に許可を取りモーブをこちらによこしたのだと説明してくれる。
「もちろん、皆様も許可してくださいますわよね?」
 ほほえみながら彼女はそう問いかけてきた。
「……いやだといえば?」
 思い切り不本意そうにユベールがそう問いかける。
「今すぐ、あの方を魔界へとお連れいたします。申し訳ございませんが、皆様程度のお力では私を止めることは不可能だと認識くださいませ」
 その気になれば、自分一人でこの国を滅ぼすことも可能だ。モーブはそう告げる。
「お認めくだされば、あの方が成人されるまではここでお過ごしいただけます」
 この言葉にエリザベートが彼女を見つめた。
「私たちの手であの子を教育してもかまわないと?」
「もちろんでございます。もっとも、多少は口を出させていただきます」
「それで十分です。女の子である以上、いずれは手放さなければならないのですもの」
 それまでの時間を与えてもらっただけで十分だ。彼女はそう言う。
「そうだな」
 ジョフロアもうなずく。
「ただ一つ、こちらからも希望を出してかまわないだろうか」
 この言葉に息子達がそろって彼の顔を見つめる。ユベールの表情には思い切り不満が描かれていた。
「何でしょうか」
 それを気にすることなくモーブが聞き返してくる。
「髪の色を変えてもらえないだろうか」
 人にはそんなくらい色をしているものはない。だから、と続ける。
「その程度でしたら今すぐにでも」
 言葉とともにモーブの髪の色が変わった。少し濃い茶色だが、その程度なら民衆の中にも見かけることがある。だから、ここにいてもおかしくはないだろう。
「皆には明日の朝、紹介しよう」
「では、それまではあの方のおそばにいる許可を」
 モーブがそう願い出る。
「よかろう」
 彼女であればあの子の今の様子を少しでも解消してくれるかもしれない。そんな期待とともに即答する。
「父上!」
「控えよ、ユベール。私の判断に異存があるのであれば、ここから出て行くがよい」
 厳しい声音でそう告げれば、彼は唇をかむ。
「あの子のためにわざわざ魔王様が派遣してくださったのだ。受け入れぬ訳にはいくまい」
 それに、と心の中でつぶやく。おそらくはエレーヌの身に降りかかる災難はそれだけではすまないはずだ。だからこそ、魔王が動いたのだろう。
「愚息が失礼をした。あの子を頼む」
「お任せを」
 そう言うと、モーブは誰に聞くこともなくエレーヌの部屋へと足を向ける。
「……ほかの王達にも、告げなければな」
 まさかそういうことになっていたとは、と彼女の背中を見送りながらジョフロアはつぶやく。
 これを名誉と受け止めるか、それとも不幸と受け止めるか。それは当人の気持ち次第だ。それでも、エリザベートではないが今しばらくの猶予をもらったことを喜ぶべきだろう。ジョフロアはそう考えている。
 ただ、息子達──特にユベール──が同じ気持ちかどうか。それがわからない。
 彼には少し注意を払っておかなければならいか。そうも考えていた。


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