何で、俺が魔王の花嫁?

012



 その晩、城内は上を下への大騒ぎだったらしい。王太子妃候補として集められたご令嬢達の部屋にもあれは潜んでいたそうだ。中にはかまれそうになったところをかろうじてメイド達に助けられたものもいたとか。
「これでは兄上のお后選びは延期だね」
 ため息とともにそう告げたのはアンリ兄様だ。ユーグ兄様はユベール兄様とともにご令嬢達の対処をしている。
「おにいさまはここにいてよろしいのですか?」
「君を一人にするわけにはいかないだろう? 父上も母上もそれを気にしておいでだ」
 モーブ以外のものは信頼できないらしい。彼は小声でそう付け加えた。
「……カミラたちも、ですか?」
 自分が《自分》として目覚める前からそばにいてくれたのに、と言外に問いかける。
「あぁ……彼女たち本人はともかく、その親族がね。いろいろと確認しないといけないのだよ」
 誰がどこにつながっているのかわからないから。アンリ兄様はそう言ってため息をつく。
「この世界はきれいな花園だけど、そこに住んでいる人間は誰もがそうではないということだね」
 君にはまだ早いかもしれないが、と兄様は苦笑とともに付け加えた。
 本人はともかく、その親族の中にはそのつてを使って自分の願いを叶えようとするものがいるということか。その中には当然、よからぬ願いを抱いているものもいるのだろう。あるいは強引に物事を進めようとしているのか。
 今回のことであれば、ユベール兄様の結婚阻止か、あるいはライバルを蹴落とそうとしているのかと推測できる。
「でも、どうして私を狙うのでしょうか」
 自分に危害を加えればどうなるか大騒ぎになることぐらいわかっているだろうに、と首をかしげて見せた。
 それとも、それが狙いなのだろうか。
 もしそうだとするならば、その理由がわからない。
 心の中でそうつぶやきながら俺は右手をあごに当てる。
「君が兄上の結婚の最大の障害だと考えているものがいたからだろうね」
「ますますわかりません」
 自分の存在がどうしてユベール兄様の結婚の妨害に成というのだろう。一番の問題はあの長兄の異常なまでのシスコンではないか。それを乗り越えられるだけの魅力を持った女性であれば結婚できるような気がする。
「君はそのままでいいよ」
 俺の言葉を聞き終わったアンリ兄様がそう言ってほほえんで見せた。
「私も兄上の心情はあまり理解したくないしね」
 あの人が何を考えているのか、想像したくない。それでもよからぬことを考えているのであれば止めるのが弟としての義務だろう。
「妹を守るのは兄として当然のことだけどね」
 あのような事情がなかったとしても、と微妙に言葉を濁しながら続けられたのは、自分の胸にあるあの紋章のことだろう。
「面倒です」
 ため息とともにそう告げる。
「それはあきらめてもらうしかないね」
 自分ではどうすることもできない。いた、父王であっても無理だろう。そう続けた。
「……わかっています」
 残念だが、国のためには仕方がないのだろう。それでも《嫁》というのはなぁ、と心の中ではき出した時だ。モーブが戻ってきた。
「陛下がお呼びですわ」
 どうやら途中で伝言を預かってきたのだろう。彼女はそう告げる。
「わかった。エレーヌ、行こう」
 そう言いながらアンリ兄様が差し出した手に俺は素直に自分のそれを重ねた。

 犯人だとされた侍女や召使いたちの中に見知った顔を見つけて俺は思わず目を丸くする。
「ダニエラ?」
 自分についていてくれた侍女の名前を思わず口にした。
「あなた様が悪いのです、姫様!」
 それに彼女は顔を上げるとこう叫んだ。
「あなた様がユベール様を縛り付けていらっしゃるのです」
 俺がいるからユベール兄様が女性に目を向けない? 今まで何を見てきたんだ、と思わず怒鳴りつけたくなる。
 しかし、ここでそうするのは立場上無理だ。
「私がお願いしたわけではありません」
 むしろありがた迷惑だ、と言外に告げるだけでとどめておく。
「何度もお兄様に『ご自分を優先してください』とお願いしていたことはあなたも知っているでしょう?」
 違うのかと問いかければ彼女は視線を床に落とす。
「それとも、私が生まれない方がよかったとでもいうのですか?」
「そんなことは……」
「ですが、お兄様にお考えを改めていただくにはそれしかないのではありませんか?」
 自分が物心ついたときからユベールはこうだった。毒を飲まされて回復した後は何度も『やめてくれ』と頼んでいたにもかかわらず、彼は自分の言動を変えようとはしなかったではないか。
 そうである以上、後は自分が存在しなくならなければどうしようもないだろう。
「それがわかっていたから、あなたは私に毒を飲ませたのでしょう?」
 違うの、と首をかしげてみせる。
「姫様……」
 ダニエラが信じられないというように目を見開いた。俺が気づくと思ってはいなかったのだろう。
 まぁ、普通、五歳児が気がつく方がおかしいんだが。
 残念なことに、エレーヌの中身は俺だ。それなりの推測はできる。
「あの日から私は『少しでも早く大人にならなければ』と考えてきたのです。そうでなければ、自分がどうして狙われたのか、わからなかったから」
 自分のせいで周囲のものたちが苦しむのはいやだった。その中にダニエラも含まれていたのに、と目を伏せる。
「エレーヌ、もうよい」
 俺の言葉をお父様の声が止めた。
「我らにとってそなたは癒やしである。だから、そのような悲しいことは口にするな」
 そう言いながら父様はそっと俺の肩に手を置く。そのまま視線をダニエラへと向けた。
「そなたの祖父母は私に誠心誠意仕えてくれたものを……残念だ」
 ダニエラ個人の忠誠はこの国ではなく他の国にあったようだな、とお父様は続ける。それはどこなのだろうか。
「わたくしはそれを恥じておりません」
 そう言い切るダニエラは美しいと思う。同時に、彼女の忠誠が自分にないことが悲しいと感じられた。
「それもよかろう」
 罪を償った後は好きにすればいい。その言葉の裏にあるのは何なのかまでは読み取れなかった。
「ユベール」
 お父様もダニエラには興味をなくしたかのようにお兄様の名を呼ぶ。
「はい」
 それに対するお兄様の反応が怖い。なぜ、この場で笑みを浮かべていられるのだろうか。
「そもそも、今回のことはそなたの言葉が原因だ。エレーヌだけではなくほかの令嬢方まで危険にさらしたことは見過ごせぬ」
 だから、と続ける声音に苦いものが含まれている。それこれから告げる内容がはお父様にとってもつらいものだからではないか。
「お前を廃嫡し、十年間の魔王軍支援を命じる。時が来るまで、王城への立ち入りを禁止する」
 一息に告げられた内容は予想以上に厳しいものだった。
「……陛下……」
 ユベール兄様もそこまではと思ったのか。いつもの笑みが消えている。
「本来であれば王族から追放したいところだが、それでは今までお前のために国民たちが納めてくれた税が無駄になる。せめて王族としてその程度のことはして見せよ」
 十年もたてば俺も成人する。そうなれば当然嫁ぐことになるだろう。きっとそれが終わるまでユベール兄様はここに戻ってこられないはずだ。
 しかし、それは仕方がないことではないか。
 もっとも、俺自身『嫁ぐ』ことを受け入れられているわけではないんだが。それでも義務ならば仕方がない。
 兄様もそうやって割り切れればよかったのに。
「ご命令である以上、さからうわけにはいきますまい」
 やがて兄様はため息とともに言葉を綴り出す。
「しかし、それで私があきらめると思いめさるな」
 これも捨て台詞というのだろうか。
 何よりも今回の黒幕が誰なのかがわからない。ダニエラが心底忠誠を誓っている相手の存在がとても気にかかるのだ。
 それでも、今の俺にはこれ以上どうすることもできない。
 その事実がとてももどかしく思えてならなかった。

「いったい何を考えていらっしゃるのか」
 その報告を耳にした瞬間、彼女はそうつぶやく。
 ダニエラのことはいい。元々捨て駒として手元に置いておいただけだ。
 しかし、ジョフロアがまさかユベールを切り捨てるとは思ってもいなかった。
「これでは王妃になれないではありませんか」
 王妃になれなければあの気に入らない娘を見下すことができない。
「すべての元凶はあの子ですもの」
 少し痛い目に遭って反省してもらわなければ。その後で適当な相手と結婚させてしまえばいいだろう。
 それもできるだけ最低の人間と、だ。
「あの方と王位。その二つがそろってこそ、わたくしにふさわしいのですわ」
 そうつぶやく彼女の言葉は彼女以外の耳には入らなかった。


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