04
隠れ家には様々な本が置かれていた。その内容にルルーシュは驚く。自分が知っているものよりも内容的には古いとはいえ、おそらくこの時代では最先端のものと思える研究書が多数あるのだ。
ということは、ここは元々、そう言う人間の持ち物だったのだろうか。
「……まぁ、暇つぶしにはなるな」
迂闊に外を出歩けない以上、室内で時間を潰さなければいけない。そう考えれば、本があるだけでもありがたいと言える。
「ネットが充実していれば色々と楽なんだが……」
流石に無理だろう。だが、逆にそれがマイナスに働く可能性だって否定できないのだ。だから、と自分に言い聞かせる。
そして、適当に一冊抜き出したときだ。
「L.L.?」
ヴィクトルが彼を呼ぶ声が耳に届く。
「ここだ」
どうかしたのか? といいながら、ルルーシュは廊下へと顔を出した。
「邪魔をしてごめんなさい。教えて欲しいことがあるんだけど」
構わないか、と口にしながら、彼は歩み寄ってくる。その足取りがぎこちないのは、まだケガが治っていないからだろう。
「今行く。そこで待っていろ」
あまり歩いてケガを悪化させてはいけない。歩けなくなったら大変だ。そう考えてしまうのは、彼がどこかナナリーに似ているからだろう。
「でも、いいの?」
「構わない。暇つぶしの道具を探していただけだからな」
それよりも何だ、と足早に歩み寄りながら問いかけた。
「……パンはどうやって作るのかを」
そうすれば、帰ってきたのは予想外の言葉だった。
「ヴィクトル?」
「他にも色々と知りたいことはあるけど……とりあえず、一番身近な事から教えて貰おうかと思って」
ルルーシュと一緒に暮らすようになって自分は何も知らないと気付いたから、と彼は続ける。
差し出されるのが当然だと思っていた。しかし、食べ物は調理しないと食べられない。服だって、洗濯をしたりぬったりしなければいけない。他のものもそうだろう。
だが、大きな事は実際に体験することが出来ない。
しかし、パンなら……と思ったのだ。彼はそう告げた。
「……一言でパンの作り方、というが、どこから知りたいんだ?」
たんにレシピを知りたいのか。それとも、と聞き返す。
「え?」
「パンにも種類があるぞ」
さらにヴィクトルの困惑を深めるような言葉をルルーシュは口にした。
「そう、なのか?」
なら、どうすればいいのだろうか。彼はそう呟く。
「あぁ。まずは、自分が何を知らないのか。それを認識することから始めることだ」
それには本を読むのが一番だ……とルルーシュは言った。
「本……」
その言葉を耳にした瞬間、彼は本気でいやそうな表情を作る。どうやら、本を読むのは苦手らしい。だが、いちいち自分に聞かれても困る。時間があるときであればいいが、そうでないときには付き合えない。
だから、と思いながら言葉を重ねる。
「大きくなれば、書類を読まなければいけない立場になるのだぞ。それよりは、本の方が面白い。色々と知ることが出来るからな」
そう言って笑った。
「読むのが苦手なら、わかりやすそうな本を探してやる」
そんな本からなれていけばいい。
読むことになれてきたときには、今度は本の選び方を教えてやろう。そうすれば、自分で知りたいことを調べられる。
「そうすれば、別れた後も自分で調べることが出来るからな」
いつまでも一緒にいられるわけではない。あの魔女が戻ってきたなら、自分はここを離れるだろうし……と心の中で付け加える。
その前に、出来る限りのことをしてやりたい、とそう思う。
「……お願いします……」
しばらく悩んだ後、ヴィクトルはこう言ってくる。
「いいこだ」
そんな彼に向かって、ルルーシュは微笑みかけた。
今の時代について知識を得れば得るほど、ルルーシュの中でいやな予感がふくれあがってくる。
「ヴィクトルが大切にしているのは、同母の弟か」
あの男が皇位に就くために蹴落とした者達の中にも同母の兄弟だったものはいたはず。もっとも、それについての資料はほとんど残されていないから、あくまでも噂程度でしか知らない。
だが、とルルーシュはため息をつく。
「もし、双子だとするなら、一組しか、いなかったはず」
あの男と、その兄とだ。
「違うと思いたいが……」
だが、と考えてしまうのは、自分が物事を楽観的に見られないからだろうか。それとも、と呟いたときだ。ドアをノックする音が聞こえてくる。
「ヴィクトル?」
ここには二人しかいない以上、それが誰のものか、わかってしまった。
「どうした?」
心の中の疑念を押し隠しつつ、ルルーシュは声をかける。
「ごめんなさい……ちょっと、怖い夢を見て……」
そうすれば、ドアの外からこんな言葉が聞こえてきた。
「……そうか……」
考えてみれば、本人かどうかにかかわらず、今の彼は見た目通りの年齢なのだ。そして、守ってくれる相手も守るべき相手も側にはいない。だから、心細くなってしまったのだろう。
ナナリーも、日本に行った頃はもちろん、アッシュフォードに引き取られてからも自分と一緒に寝たがった。それは、間違いなく心細かったからだろう。
ならば、彼も同じ気持ちだとしてもおかしくはない。
「今、ドアを開ける」
彼は、自分が知っているあいつではないのだから……と自分に言い聞かせながらルルーシュはドアへと向かった。
「ここだって、俺のいたあの時につながっているとは限らないしな」
どうやら、微妙な差違が既にあるらしい。それが自分がここにいるからなのか、それとも……と思いながらドアのロックを外した。そのまま静かに開ければ、夜着に身を包んだヴィクトルが所在なさげに立っているのが見える。
「……ごめんなさい……」
ルルーシュの顔を見た瞬間、ヴィクトルは消え入りそうな声でそう告げた。
「気にしなくていい」
それよりも入りなさい、と続ける。
「でも……」
「気にしなくていい、といっただろう? とりあえず、今晩は一緒に寝てやる」
だから、安心しろ……と微笑む。
「いいの?」
少しだけほっとしたような表情を作りながら彼は問いかけてきた。
「寝相が悪ければ、遠慮なく追い出すがな」
そう言いながら、彼の頭に手を置く。
「はい」
それでルルーシュが言っていることが嘘ではないとわかったのか。彼はようやく笑みを浮かべた。
「風邪をひくと後々困るぞ」
こう言いながら、ベッドへと彼を連れて行く。そして、布団の中へと押し込んだ。
「L.L.は?」
「今、寝る。明かりを消したらな」
元々、いつでも寝られるように着替えていたから問題はない。だから、と思いながらスイッチへと手を伸ばす。
小さな音と共に部屋の中が暗くなる。完全に明かりを消さないのは、何かあったときのことを考えてしまうからだろう。ほとんど習慣になっていると言っていい。
「……もう少し壁側に詰めろ」
こう言えば、彼は素直に位置を変える。
それを確認してから、ルルーシュもまたベッドの中に滑り込んだ。貴族用なのか、大きめなサイズでよかった、と意味もなく考えてしまう。もっとも、普通のサイズのベッドでも、自分とヴィクトルなら苦もなく眠れるのかもしれないが。スザクと一緒に寝る羽目になったときには、色々と大変だった。そんなことまで思い出してしまう。
だが、今はそれを思い出している場合ではない、と無理矢理脳裏から追いだした。
代わりに、すぐ傍にある温もりへと意識を向ける。そうすれば、彼がまだ、緊張しているのがわかった。
「怖い夢を見て魘されたら起こしてやる。だから、安心して寝ろ」
そう言いながら、リズムをつけて布団の上から彼の体を叩いてやる。こうすれば、ナナリーはすぐに眠りに落ちてくれた、と意味もなく思い出す。
彼女だけではなく他の人間にもそれは有効だったらしい。
「眠ったか」
小さな寝息を立てて目を閉じている彼の顔を見ながら、ルルーシュはそう呟く。
「まったく……あいつにもこのくらいかわいげがあれば……といっても無理か」
外見はともかく、中身は今の自分の何倍も生きていたのだ。それでかわいげがあっても逆に怖いとしか言いようがない。
「あんな風になるまで、いったいどんな経験を積んできたのか」
そして、どうしてあそこまでシャルルに固執したのだろうか、彼は。
「まぁ、いい。俺には関係のないことだ」
彼らがどのような経験を積んできたかと言うことは、と思い直す。
何よりも、下手に関わらない方がいい。関わってしまえば、離れるのが難しくなってしまう。
このまま一緒にいれば、最悪、自分が望む世界が出来るように彼らの思考を誘導しかねない。それでは、歴史が変わってしまうのではないか。
もっとも、と自嘲の笑みを口元に刻む。
自分がここに来た時点で歴史が変わっている可能性は否定できない。
だが、と心の中で付け加えながら、ルルーシュも体から力を抜く。スザク達と会えない未来ならいらない。
どんなに辛い結果になっても、彼らと過ごした時間は自分にとって大切なものだ。そんなことを考えながら、ルルーシュは眠りの中へと堕ちていった。