06
「ヴィクトル」
小さなため息とともにルルーシュは口を開く。
「俺には《ギアス》は聞かないぞ」
C.C.と一緒にいるのだ。それを知らないはずがないだろう? と問いかける。
「……あっ……」
次の瞬間、彼が小さな呟きを漏らした。
「忘れていたわけか」
彼の表情から推測すれば、と思いながらルルーシュは問いかける。
「そんな基本的なことを忘れるぐらい、何を考えていたんだ?」
何か難しい問題か? とさらに言葉を重ねた。それに、ヴィクトルは困ったような表情で唇を噛む。その表情には見覚えがあった。自分が今までに何度も浮かべていたそれだ。きっと、口に出してはいけない……と自分を戒めているのだろう。
「構わないから言ってみろ。でなければ、助言も出来ない」
ヴィクトルのような子供が一人で悩んでいる姿は見ていたくない、と続ける。自分ですら、幼い頃には母や兄たちが助言をしてくれた。後で裏切られるとわかっている今ですら、その時の彼らの言葉は嬉しかったとしか言いようがない。
だから、せめて傍にいられる間は、と思うのだ。
いずれ、ヴィクトルが
ならば、と考えてしまうのだ。
自分がこの世界に生まれなくてもいい。自分は、今、ここにいる。だから、いずれ生まれて来るであろうスザクやその他の者達が平穏に過ごしてくれれば、それだけで自分は満足だ。
困ったことに、その者達の中に既にヴィクトルも含まれているらしい。
自分のこんな気持ちにC.C.は気付いていたのだろうか、とルルーシュは心の中で呟く。
きっとそうだろう。
「言いたくないか?」
まったく口を開こうとしないヴィクトルに意識を戻すとこういった。
「だが、これだけは覚えておけ。ギアスで人の心を縛っても、思い通りになどならない。なったとしても一瞬だ。後で必ず大きなしっぺ返しが待っている」
そのせいで、自分にはあの方法しか残されていなかったのだ。もし、もっと別の方法を選択できていれば、ナナリーに手を汚させることもなかっただろう。
「……L.L.」
彼の予想外の剣幕に驚いたのか。ヴィクトルは恐怖に近い表情を浮かべている。
「そうやって失敗した人間が言っているんだ。真実だぞ」
ほんの僅かに表情を和らげるとルルーシュはこう続けた。
「だから、どうしても必要な時以外、使わない方がいい」
それも、後腐れがない相手の方が余計な機体をしないだけ気が楽だ。こんなことまで口にしてしまったのは、間違いなく黒の騎士団に裏切られたときのことを思い出したからか。
しかし、とすぐに思い直す。
彼らには使おうとは思わなかった。だが、それが彼らを疑心案ぎにしたのだろうか。もっとも、それはシュナイゼルの話術があってこそ、だろう。だから、ヴィクトルには言う必要がない。ルルーシュはそう判断をした。
「せっかくの力なのに」
「……使いすぎると暴走する。その時に大切なものを失わないとは言い切れないぞ」
自分がそうだったように、と心の中だけで呟く。
「もっとも、俺はお前がどのような《ギアス》を持っているのか、知らないがな」
この言葉に、彼は視線を下に落とす。
「だって……L.L.がいなくなるって……」
それがいやだったから、と彼はそのまま口にする。
その言葉と目的から判断して、彼の《ギアス》はおそらく、人の意識に作用するものなのだろう。
自分は他人の意志を操ったし、シャルルは記憶を書き換えた。
ひょっとして、ブリタニアの血をひくものに現れるギアスは人の意識に作用するものなのか。そんなことも考えてしまう。
「仕方がないな。俺には俺のやるべき事がある。それはここにいては出来ないことだ」
そして、ヴィクトルの目的とはそぐわない。
「何事にも優先順位がある。それを間違えれば、後々取り返しの着かない状況になる」
それでは他の者達も不幸になるだけだ。ルルーシュはきっぱりとそう言いきった。
「もっとも、どこかでまたすれ違うかもしれないがな」
それ以前に、C.C.が戻ってこないうちは自分も動きようがない。流石に、今のヴィクトルを一人で放り出していったらどうなるのか。想像しなくてもわかってしまう。
「それでも、傍にいて欲しい……と言ったら?」
ヴィクトルが言葉とともに顔を上げる。
「あの子を助け出したら、すぐに手伝うから」
だから、傍にいて欲しい。彼はそう続けた。
「……だから、それはできない」
人にはそれぞれなすべき事がある。それは時期を逃すことが出来ないものだ。今、自分がヴィクトルの言うとおりにするのは簡単かもしれない。しかし、その後で自分がなすべき事をするとすれば、多大な時間と費用がかかる。
「C.C.もそれを知っている。だから『最後まで付き合え』とは言わなかった」
その《時》を逃せば、間違いなく自分は後悔するだろう。あるいはヴィクトルを憎むことになるかもしれない。
「お前はそれでいいのか?」
自分に憎まれても、とルルーシュは問いかけた。
「それは、いやだ」
即座に彼は言い返してくる。
「なら、他人の行動を邪魔するな」
強要することで嫌われることもある。その結果、親しかった者達が掌を返すように敵に回ることだってあるのだ、と続けた。
「それよりも、いい加減、朝食の準備をしたいんだが……」
食べないならいいが、とルルーシュは話題を変えるように言う。
「……食べる」
そうすれば、どこか渋々といった口調でヴィクトルは言葉を返してくる。
「なら、おそなしくテーブルを拭いてこい」
言葉とともに手近にあったふきんを彼へ投げた。
胸の前でそれを受け止めると、ヴィクトルは素直にリビングへと移動していく。
「……やはり、早めに離れた方がいいかもしれないな」
完全に、自分に依存しかけている。このままではだらだらと付き合わされかねない。
それでは、自分も彼らも不幸になるだけではないか。
「いずれ、俺はあの日々を再現しないために、彼らの意志をねじ曲げるかもしれない」
それはしていけないことだ。だから、と呟くと、ルルーシュは手を動かし始めた。
自分がそうすれば、世界の流れが変わる。それは、自分にとっては幸せな結果にたどり着くのかもしれない。だが、他の者達にとってはどうなのだろうか。
そう考えれば、迂闊なことなどしない方がいい。
「……かといって、ここで完全にあいつを突き放すわけにはいかないしな」
そんなことをすれば、自分が後悔する。
だから、と考えているうちにも手は動いていた。ある意味、体に染みついた行動だからか。味付けも何も無意識のうちにできる。
「問題は、今のでヴィクトルが納得してくれたかどうか、だな」
納得してくれればいい。C.C.が戻ったときに自分が彼らと別れればいいだけのことだ。
だが、納得していなかったら……と考えるとため息が出る。
コード保持者には確かに《ギアス》は通用しない。だが、ギアス能力者にはそうではないのだ。
もし、ヴィクトルが彼らに《ギアス》をかけたらどうなるか。
おそらく、自分の意志に反して、彼らはルルーシュを縛り付けようとするだろう。その結果、どれだけルルーシュが彼を恨んだとしても、だ。
それに、と続ける。
「ここにはジェレミアはいない」
一度かけてしまったギアスを解除する方法はないのだ。
だから、ヴィクトルが自分の行動を恥じたとしても、もう取り返しが着かない。ギアスをかけた人間を殺す以外に全てを終わらせる方法がないのだ。
だが、その結果、傷つくのは間違いなくヴィクトルだろう。
もっとも、そこで反省したとしても一度すれ違ってしまった感情は元に戻らない。戻すためには双方とも、多大な努力が必要なのだ。そして、それをできるものは少ない。
自分たちだって、最後まですれ違ったままだったし……とルルーシュはため息をつく。
ただ、共通の目的があったからこそ、話し合うことが出来た。そして、何とかお互いを許すことが出来た。ただそれだけだったのだ。
その前提として、自分たちがまだ、お互いのことを好きだった、という事もある。だが、自分がヴィクトルに対してスザクと同じように思えるかと言えば、答えは『否』だ。
だから、とルルーシュはため息をつく。
「あの子に気付かれる前に離れたかったものを」
もっとも、今回のことは間違いなく自分にも非がある。だから、あれこれ言うのはやめよう。
「こうなれば、あの魔女が早々に戻ってくることを祈るしかないか」
そうすれば、少なくとも自分がヴィクトルから離れても何の支障もなくなる。
「……本当、何故、俺がこの時代にとばされたのか」
ここでなければ、彼と出会うこともなかっただろう。そして、出逢わなければ、彼等に関する感情が揺れる事はなかったはずだ。
「まったく……人の感情は厄介だな」
自分でも思い通りにならない。
小さなため息とともに皿を取り出す。
そこに、焼き上がっためだまやきとベーコン。そして、ちぎったレタスを盛りつける。
別のさらには焼き上がったばかりのトーストにバターを塗ったものを乗せた。
「本当はスープも用意したかったんだがな」
流石に、この騒ぎの後ではそこまでする気力がない。
「ヴィクトルには妥協してもらうしかないだろうな」
ため息を共にそう付け加える。
「後は……俺がいつも通りの態度を取れるかどうかだ」
甘いかもしれないが、これ以上、彼を追いつめたくない。だから、と呟きながらお盆を持ち上げる。
「ヴィクトル! 拭き終わったか?」
そのまま、リビングにいる彼に声をかけた。