03
いったい、目の前に広がっている光景はなんなのか。
ルルーシュにはそれがすぐに理解できなかった。
赤く染まった大理石の上に二つの人影が倒れている。しかも、そのうちの一人は柔らかにウェーブを描く黒髪で体をおっていた。
「……まさか……」
この国で、自分以外にあの色の髪をしているのは一人だけだ。
「母さん?」
ならば彼女が抱きしめているのはナナリーなのか。
「どうして……」
どうして、あの二人が倒れているのだろう。
ここは世界で一番安全な場所だったのではないのか。少なくとも、シャルルとマリアンヌはそう教えてくれたのに。
「母さん……」
言葉とともにルルーシュは二人の元へ駆け寄ろうとする。
「だめです、ルルーシュ様!」
そんな彼の体を背後から抱きしめるものがいる。
「放せ!」
即座にこう言い返す。
「母さんとナナリーが!」
そう付け加えたときだ。脳裏にいつもの夢がよみがえってくる。
だが、ここにはV.V.がいない。
第一、彼はそんなことをするはずがない。
それとも、自分をだましていたのだろうか。
「母さん! ナナリー!!」
お願いだから、誰か否定してほしい。そう思いながら二人の名を呼ぶ。
「大丈夫ですから、ルルーシュ様! お二人とも無事です」
自分を抱きしめているものが叫ぶようにそう告げる。
あんなに血が流れているのに、無事なはずはない。
大丈夫だと思っていたのに、あの二人は……とささやく声は誰のものか。
「落ち着いてください!」
その瞬間、他の誰かの意思が自分の中を満たす。それに耐えきれず、ルルーシュは意識を手放した。
今日、この離宮が襲撃されることはつかんでいた。だから、皆を遠ざけたというのに、と深く息を吐き出す。
「まさか、ルルーシュが予定よりも早く戻ってくるとはね」
予想外だった。そう言ったのはV.V.だ。
「仕方があるまい。何事にも想定外の事態、と言うものはつきものだからな」
ため息とともにC.C.が口を開く。
「しかも、今のルルーシュはもう一つの人格がうたた寝しているような状況だ。何かの拍子に彼の経験を《夢》として共有していたとしてもおかしくはない」
彼女はそう続けた。
「こんな時に、とは思うが……こんな時だったから、だろうな」
マリアンヌ襲撃事件が、あちらのルルーシュにとっては大きな分岐点だったらしい。
あの事件がなければ、彼はもっと穏やかに生きていられたのかもしれない。
そんな気持ちが残っていたのであれば、こちらのルルーシュに無意識に干渉してもおかしくはないような気がする。
C.C.が静かな声でそう言った。
「何とかして阻止しようとしたのだろうが……」
そいつなりに、と彼女は苦笑を浮かべる。
「とりあえず、眠らせておくしかないだろうな、今は」
ルルーシュの意識がどうなっているのかがわからない、と彼女は続けた。
「C.C.?」
「……ルルーシュが見ていたものを認識できているのだろう。つまり、あいつは、また自分の大切なものを奪われた、と思ったはずだ」
その結果、こちらのルルーシュの意識を乗っ取るかもしれない。
「……お前たちを恨んだままかもしれないぞ」
我慢できるか? と彼女はV.V.の瞳をのぞき込みながら口にする。
「それを我慢できるか?」
さらにこう問いかけてきた。
「我慢できるよ。決まっているじゃないか」
少なくとも自分は、とV.V.は言い返す。
「シャルルはどうかわからないけど……でも、大丈夫じゃないかな?」
そう言って首をかしげた。
「彼は、なかったことで文句を言う人間じゃないでしょう?」
そして、逆にこう聞き返す。
「否定できるほど、私はあいつのことを知らないがな」
だが、逆に言えば否定できない。そう言って彼女は微笑む。
「とりあえず、あいつも私のことは知っている。だから、こいつが目覚めるまで付いている。お前はその間に後始末をしてこい」
シャルル達も心配しているだろう、と彼女は続けた。
「あぁ、犯人にはまだ手を出すなよ? 確保しておくだけにしておけ」
「何故?」
あんな奴ら、早々に処分した方がいいのではないか。そう思って問いかける。
「こいつにも糾弾する権利があるだろう?」
一番被害を受けたのはルルーシュだ。そう彼女は続ける。
「それに、どちらにしろ、こいつには必要なことだと思うぞ」
どちらのルルーシュが目覚めるにしても、と言われれば納得するしかない。
しかし、だ。
「もし、あの人が目覚めたら、あの子の意識はどこに行くんだろうね」
一緒に過ごした時間は消えてしまうのだろうか。V.V.は小さな声でそう呟く。
「……残念だが、私にもわからん。こいつのようなことは初めて目にすることだからな」
C.C.は静かに言い返してくる。
「それでも、どこかには残っていると思うぞ」
今までの時間が消えるわけではない。
きっと、どこかには残っているはずだ。
C.C.は言外にそう告げる。それが慰めのための言葉だとしても今はうれしいと思う。
「そうだね。きっと、そうだよね」
そうでなければ、辛い思いをするのは自分達だけではない。マリアンヌやナナリーもだ。
「だから、大丈夫だよね」
これは自分に言い聞かせるための言葉だ。だから、返事が返ってこなくてもいい。
「シャルル達の様子を見てくるよ」
こう言い残すと、彼は二人を残して部屋を出た。
「だ、そうだぞ……ルルーシュ」
ドアが閉まったと同時に、C.C.は口を開く。
「だから、さっさと目を覚ませ」
どちらの《ルルーシュ》であろうと、シャルルとV.V.は否定しないだろう。しかし、マリアンヌとナナリーは悲しむかもしれないな。そう呟く。
「まぁ、そのときは私と一緒にこの国を出ればいいだけだな」
いろいろと文句を言われるかもしれないが、と彼女は笑みを作る。
「だが、私はC.C.だからな。自分のしたい通りにするさ」
今までも、そしてこれからも……と付け加えた。
「だから、お前も好きにしていいんだぞ。少なくとも私だけはお前が何をしようと否定はしない」
ただ、と彼女は言葉を重ねる。
「やり直せるかもしれない機会をもらったんだ。少しは踏ん張ってみるんだな」
この言葉が彼の耳に届いたかどうかはわからない。
それでも、自分の言いたいことは伝わったのではないか。C.C.はそう確信している。
「私たちは共犯者だからな」
今も、昔も、そして未来でも……と彼女は笑う。
「あぁ、私だけではないな。お前を待っているのは」
他にも《ルルーシュ》を待っている人間がいる。だから、責任をとれ、と続けた。
「なぁ、私の魔王? お前は、私の願いを叶えてくれるんだろう?」
それに対する答えは返ってこない。もちろん、彼女の方もそれは期待していない。
「とりあえず、ナナリーだけは泣かせるな」
こう続けながらも、そっと彼の頬をなで続けていた。