僕の知らない 昨日・今日・明日 第二部

04


 何かをつかもうと手を伸ばした。
 しかし、いったい何をつかもうとしていたのか。自分でもわからない。
 ただ、それをつかまなければいけない。
 そんな気持ちだけが彼の中に残っていた。
「待て……」
 それが遠ざかっていく気配が伝わってくる。今見失ってしまったら、次にいつ出会えるだろうか。その時間を待てる自信がない。だから、反射的に追いかけようとする。
 理由なんてわからない。
 でも、あれをつかめば、きっと、理由を思い出せるはずだ。
 しかし、邪魔をするかのように小さな体が彼にすがりついてきた。
「……僕を消すの?」
 小さな声でそう問いかけてくる。
「……お前……」
 その間にも、それは遠ざかっていく。
「お願い、消さないで」
 自分が生きてきた時間を、と彼は続けた。
 いったい、何故、この子供はそのようなことを言うのだろうか。
 そう考えた瞬間、脳裏に答えが浮かび上がる。
 この子供は自分だ。
 自分がほしかった世界を生きてきた子供だ。
 だが、自分が望めば、この子供の存在は簡単に消すことができる。
 しかし、この子を見ていたときに自分がどれだけ幸せだったか。それを考えれば消すことなんてできるはずがない。
「……消さないから、安心しろ」
 言葉とともに上げていた手をそっと彼の方へ差し出す。その手に彼は自分のそれをそっと重ねてきた。
「大丈夫だ」
 自分達は同じ存在だから。
 そうささやくと、子供の体をしっかりと抱きしめる。
「だから、一緒に行こう」
 そうすれば、腕の中で子供はしっかりとうなずいて見せた。

 ゆっくりとまぶたを持ち上げる。その先にある天井は自分の記憶の中にあるものと同じだ。
 それを目にしていたのはもう何十年も前のように思える。同時に、つい先日だったようにも感じられる。
 それはどうしてなのだろう。
 ぼんやりと考えながら周囲を見回す。
「目が覚めたようだな」
 その瞬間、いやと言うほど聞き覚えがある声が耳に届いた。
「……C.C.?」
 何故、彼女が……と思う。だが、すぐにあの光景がよみがえってきた。
「母さんとナナリーは!」
 言葉とともに飛び起きようとする。しかし、何故かそのまま前につんのめりそうになってしまった。
「落ち着け、ルルーシュ!」
 そんな彼の体をC.C.が軽々と抱き留める。そこから伝わってくるぬくもりが、これが夢ではないと教えてくれる。
「また、俺は守れなかったのか?」
 彼女の腕をつかみながら呟く。
「だとするなら、犯人は誰なんだ? あそこにV.V.はいなかった……」
 いたのは数名のテロリスト達だったはず。
「それとも、この記憶も、あいつに改ざんされたものなのか?」
 シャルルのギアスは記憶の改ざんだったはず。もっとも、こちらのシャルルが持っているギアスがどうなのかは知らないが、と続ける。
「やはり、お前か」
 確率としては八割、と言うところだったのだが……とC.C.はため息をつく。
「あいつはどうした? もう一人のルルーシュは」
 消えたのか? と彼女は問いかけてくる。
「いや、ここにいる」
 そう言いながら、ルルーシュは胸を押さえた。
「ただ、俺の方が強いだけだ」
 二人のことを心配している、と言い返す。
 その瞬間、C.C.がにやりと笑った。彼女のその表情にルルーシュはいやなものを覚える。こんな表情をした彼女にどれだけ振り回されたことか。
「安心しろ。二人とも無事だ」
 笑みを深めながら彼女は言う。
「感謝しろよ? 私とV.V.が身代わりをしてやったんだから」
「身代わり?」
 あまりに突拍子もない言葉に、状況がすぐには飲み込めない。
「私もあいつも、銃で撃たれた程度では死なないからな」
 適任だろう? と付け加える。
「……胸のサイズ……」
 V.V.ならば、確かに遠目であればナナリーと見間違えるかもしれない。しかし、C.C.は厳しいのではないか。
「さりげなく失礼な奴だな」
 今のはどちらのセリフだ? と彼女はにらみつけてくる。
「まぁ、いい。童貞坊やに何を言っても無駄だな」
 精神年齢を考えれば、どちらのルルーシュも似たり寄ったりだろう……と口にした。
「母さんの胸がお前より豊かなのは事実だろう?」
 ウエストのサイズはともかく、と付け加える。
「シルエットだけで違うとわかるのではないのか?」
「まぁ、な」
 ウエストのサイズで気をよくしたのだろうか。それとも、そのあたりのことを突っ込まない方がいいと判断したのか。C.C.はうなずいてみせる。
「今の世にはいいものがあるからな。あるものを内容に見せるのは難しいが、ないものをあるように見せるのは簡単だ」
 便利なものだ、と彼女は笑う。
「それはよかったな」
 あきれるべきなのか、それとも……と思いながら言葉を返す。
「信じていないな?」
 全く、疑り深いお子様だ……と続ける。
「まぁ、それもお前か」
 仕方がないな、と彼女は言った。
「帰ってきてくれて、うれしくないと言えば嘘になるな」
「だが、何故、俺がここにいる?」
 自分はあのとき、死んだはずだ。それなのに、何故……とルルーシュは聞き返す。
「わからん」
 それに対する答えはこれだった。
「わからない?」
「私だって《ギアス》や《コード》についてすべてを知っているわけではない。人の魂についてもな」
 これが日本であれば《輪廻転生》で片が付くのだが……と付け加えられて、ある面影がルルーシュの心をよぎる。
「そうだな」
 確かに、あの国であればそうだろう。
「ただ、これだけは言える。お前にはまだ、何か役目があるのだろうな」
 V.V.にコードを渡したように、と彼女は言った。
「だが……俺は同じことを二度も繰り返す趣味はないぞ?」
 あの結果にたどり着かないように、徹底的に努力をしてみせる……とルルーシュは言い切る。
「好きにしろ」
 願いが叶うかどうかはわからないが、と彼女は言う。
「C.C.」
「世界はいわば大河のようなものだ。その中に小石をひとつ投げ込んだところで流れは変わらない。そうだろう?」
 だが、そうすることに意義があるのかもしれない……と口にしながらC.C.は立ち上がった。
「まぁ、いい。待っているだろうからな。今、呼んでくる」
 ただし、と彼女のは言葉を重ねる。
「お前が《お前》だと、ナナリーとマリアンヌにはばれるなよ?」
 あの二人が悲しむから、と言われて即座に「当然だ」と言い返す。
「大丈夫だよ、C.C.。それよりも本当に二人ともけが、してないの?」
 記憶の中の口調と表情を作ってこう問いかける。
「……不気味だな、それはそれで」
 中身がわかっているからか? と彼女は言う。
「まぁ、あの二人の前ではいいのか」
 言葉とともに彼女は今度こそ歩き出した。
「……どうするべきなんだろうな、俺は」
 このまま、この世界で生きていくべきか。それととも……と思う。
「……ここに俺がいることに意義があるのなら、自由にさせてもらおう」
 自分が望んだ世界を作るために、と続ける。
 C.C.はその行為を大河に小石を投げ込むようなものだ、と言っていた。
 しかし、だ。
「小石でも集まればダムになる」
 ほんのわずかでも流れを変えることができればあるいは、と思うのだ。
「そんためには、あの二人を味方に引き込むしかないのか」
 それとも、と呟いたときだ。
「お兄様!」
 扉が開くと同時に、小さな人影が転がり込んでくる。
「ナナリー?」
 確認する間もあればこそ、と言うのはこういうことを言うのだろうか。まっすぐに駆け寄ってきた体は、そのまま飛びついてくる。かろうじてその体を抱き留めたものの、そのまま後ろに倒れ込んでしまう。
「だめでしょう、ナナリー。ルルーシュは鈍くさいんだから」
 次の瞬間、マリアンヌの声が耳に届く。
 安堵のためだろうか。ルルーシュの目から涙がこぼれ落ちた。
「お兄様! いたかったのですか?」
 ごめんなさい、とナナリーが叫ぶように告げる。
「大丈夫だよ、ナナリー」
 慌ててルルーシュは彼女をなだめようと声をかけた。
「大丈夫だから、安心して」
 その言葉に彼女はルルーシュの顔をのぞき込んでくる。
「よかった」
 そう言って笑う彼女はかわいい。その思いのままそっと彼女の髪をなでる。
「本当に仲がいいわね」
 あきれているのかなんなのかわからないマリアンヌの声も記憶の中のそれと変わらない。それがうれしいと思うのは間違いなくルルーシュの本音だった。



11.12.05