07
「……もう一度言ってください、母さん」
自分の聞き間違いか。いや、そうであってほしい……と思いながらルルーシュは聞き返す。
「だから、しばらくアリエスを離れてみたら……と言ったのよ」
彼女は微笑みながらそう言う。
「あなたにとってもその方がいいはずだわ」
違う? と言い返す彼女の視線が少しだけ険しい。
「……僕は、ここにいない方がいいのでしょうか?」
どこかに人質に出されるのか、と付け加える。
「そんなわけないでしょう?」
困ったような表情で彼女は言い返してきた。同時に抱きしめてくれる。
「シャルルがあなたをそういう意味でどこかにやろうと言っても、母さんが邪魔するに決まっているでしょう」
いざとなれば、二人を連れて宮殿を飛び出すぐらい簡単なことだ。彼女はそう言う。
「ただ……あなたの表情がどこかさえないのが気になるの。少し、ここから離れて気分転換をしてきた方がいいのではないか、と思っただけよ」
それに、と彼女は続ける。
「他の国を見てくるのもいい経験でしょう?」
その間にショックなんて忘れてしまうわ、と彼女は微笑んだ。
「シャルルもV.V.も賛成していたし」
この言葉に引っかかりを覚えない人間なんているだろうか。
「……父上とV.V.様も、ですか?」
では、誰の発案なのだろう……とルルーシュは首をかしげてみせる。
「母さんではないですよね?」
それは、と聞き返す。
「C.C.よ」
笑いながら彼女はそう言った。
「C.C.が、何故?」
口ではそう言い返しながらも心の中では『余計なことを』と呟いてしまう。
「あの晩、あなたがうなされていたからでしょう」
最後まで面倒を見ていたのは彼女ではないか。マリアンヌはそう言うと同時にルルーシュの鼻先を指ではじく。
「彼女は彼女なりにあなたのことを心配しているの」
わかった、と彼女は続けた。
「……それは疑っていませんけど……」
とりあえず、幼い口調を作って内心とは真逆のセリフを口にする。
「でも、僕は母さん達のそばにいたいです」
心配だから、と続けてみた。
「ナナリーも寂しがるでしょうし……」
だから、行きたくない……と言外に付け加える。
「他の世界を見てくることはあなたにとって必要なことだわ」
少なくとも自分はそう思う、とマリアンヌは言う。
「だから、今回は素直に従いなさい。いいわね?」
いやだと言っても、強引に行かせるわよ? と彼女は続けた。
「母さん……」
彼女が強引な性格の持ち主だとわかってはいたつもりだった。しかし、改めて目の当たりにすると予想以上だと思える。
「お土産を楽しみにしているわ」
同行するシュナイゼルにも頼んでおく、とマリアンヌは言い切った。
「シュナイゼル兄上?」
あの男か、と心の中で呟く。できればパスしたいのだが、と思っても無理なのだろう。はっきり言って、現状で目の前にいる彼女に勝てる人間だといないはずなのだ。
「……ご迷惑になるんじゃ……」
「あら。喜んで面倒を見させていただきます、とご連絡があったわよ」
どこまで本気で言っているのだろう。確かに、あちらでもこちらでも、それなりに可愛がってもらった記憶はある。だが、あちらの彼は『そうしておいた方が楽だから』という理由だった。こちらでの彼はどうなのだろう。
「まだ、何か言うことはあるの?」
だだをこねないで、と彼女は口にした。このままでは彼女に何か疑念を持たれてしまうのではないか。
「僕が外国に行っている間に、母さんもナナリーもいなくならないですよね?」
とっさにこんな言葉が唇からこぼれ落ちる。
その瞬間、マリアンヌは大きく目を見開いた。だが、すぐに優しい笑みを浮かべる。
「お馬鹿さん。ひょっとして、それが怖くてだだをこねていたの?」
そう言いながら、細いが力強い腕がルルーシュの体を抱きしめた。
「大丈夫よ。母さんもナナリーも、あなたのお土産話を楽しみに待っているわ」
もちろん、シャルルも……と付け加える彼女に他意はないのだろう。しかし、ルルーシュはこっそりと複雑な表情を作った。彼がそれを楽しみにするだろうか、と思ったのだ。
いや、とすぐに考え直す。
彼は自分の知らないことを聞くのが好きだった。その性格は今でも変わっていないように思える。つまり、純粋に自分が見聞きしてきた内容を知りたいと考えるのではないか。それならばつきあってもいいが、自分のことがばれるのは困る。
「……母さんが約束してくれるなら、我慢します」
とりあえず、ため息とともにこう口にした。
「いい子ね」
そう言うとマリアンヌはルルーシュの髪をなでてくれる。
「楽しんでいらっしゃい」
さらに彼女はそう言葉を重ねた。
その後は旅行の準備であれこれと大変だった。
もっとも、ルルーシュ自身が用意するものはない。ただ、親しくしているきょうだい達が見送りと称して押しかけてくるのに対処をする必要はあったが。
「まぁ、シュナイゼルが一緒なら何も心配はいらないわよね」
こう言ってきたのはギネヴィアだ。
「確かに。もっとも、あの子も仕事があるからね。その間に無茶をしてはいけないよ、ルルーシュ」
即座にオデュッセウスが微笑みながら言葉をかけてくる。
「はい。わかっています」
でも、とルルーシュは小首をかしげて見せた。
「皆様にお土産を買わないと……特にナナリーとユフィとカリーヌの分は」
ナナリーはともかく、他の二人は盛大にごねてくれたのだ。
「全く、あの子達は……」
そう言ったのはコーネリアだ。
「連れてこなくて正解だったわね、コーネリア」
苦笑とともにギネヴィアが言う。
「でも、クロヴィス兄さんよりマシです」
苦笑とともにルルーシュは言葉を口にした。
「何でも、シュナイゼル兄上のところでごねているそうです」
自分も一緒に行くと、と続ける。
「困った子ね、あの子も」
ユーフェミアと同じレベルだなんて、とギネヴィアがあきれたようにため息をつく。
「シュナイゼルがいない間、ルルーシュを独り占めできると思っているのだろう」
あの子らしいと言えばあの子らしいが、とコーネリアは眉間にしわを寄せている。
「あの子はルルーシュが勉強の一環としてシュナイゼル兄上に付いていくとわかっているのか?」
さらに彼女はそう続けた。
「実際に、僕には観光のようなものですが」
シュナイゼルの手伝いと言っても、自分には何もできないから……とルルーシュは言う。
「そう思っているのはあなただけよ」
「そうだよ、ルルーシュ。シュナイゼルは優秀だ。だからこそ、適切な助言をできる存在が必要なのだよ」
残念だが、自分にはそれができない……とオデュッセウスがため息をつく。
「ですが、オデュッセウス兄上がいてくださると、安心できます」
長兄だから、だろうか。弟妹には鷹揚な態度を崩さない。多少のミスならフォローしてくれる。あの頃もそうだっただろうか。それは思い出せない、と言うよりもあちらでは自分達はそれほど親しくしていなかったのだ。
そういう意味でも、ここの
「そうね。適材適所よ、兄上」
ギネヴィアがそう言って笑った。
「ともかく、クロヴィスはちょっと困りものね。あのこのことだから、ついでに美術館巡りもしたいのだろうけど」
シュナイゼルの足を引っ張るのはわかりきっている。
「何よりも、シュナイゼルならともかく、クロヴィスなんかにルルーシュを独り占めさせるのはおもしろくないわ」
「そうですわね、ギネヴィア姉上」
この二人は何を話しているのだろうか。全く理解できない。
「兄上……」
「……困ったね、ルルーシュ。クロヴィスは本気で二人の不興を買ってしまったようだよ」
どうしようか、とオデュッセウスが笑う。
「どうしようと言われても……姉上方を止められるのは母さんぐらいです」
自分では無理だ、とルルーシュは言い切る。
「あぁ、確かにそうかもしれない」
こうなれば、とオデュッセウスは笑みに苦いものを含ませた。
「クロヴィスには泣いてもらおう」
言外に『この件に関しては彼は見捨てる』と彼は言う。
「僕も、それがいいと思います」
それ以外に方法はないだろうとルルーシュもうなずいた。
クロヴィスがどんな目に遭わされたのか。ルルーシュが知ったのは、ブリタニアに戻ってからのことだった。