17
構内に入っても、学生の姿を見かけることはない。
「ここは使われていない校舎なのか?」
ずいぶん静かだが、とルルーシュは小首をかしげつつ問いかけた。
「いえ。ここでは実験の関係上、振動や物音を制限しているのですよ。その関係で、利用する学生が少ないだけです」
立て板に水とばかりに男は言い返してくる。
「何の実験ですか?」
おもしろそうですね、とルルーシュは付け加えた。
「確か、電子の測定実験だったと……詳しいことまでは専門の者でなければわかりかねます」
彼はそう言い返してくる。
「ご希望でしたら、誰かに説明させましょう」
「お願いできますか?」
興味があるので、とルルーシュは微笑む。専門的に学習したことはないが、本や知り合いの研究者の話などから聞きかじっている。だから、もう少し詳しく知りたいと思っていたのだ。そう告げた。
「わかりました。殿下がご希望の研究室を見学された後、説明をさせていただけるよう、手配をさせていただきます」
それは本心からの言葉なのか。それとも、その前に何かことを起こすつもりだから時間稼ぎをしようとしているのか。どちらなのだろうか、と思う。
どちらにしろ、警戒をしすぎることはない。
それに、自分のそばには今、ジェレミアとロロがいる。だから、何があっても大丈夫ではないか。そうは思うものの、やはりどこか不安をぬぐえない。
もし、ここにスザクがいれば、こんな気持ちにはならずにすむのだろうか。ふっとそんな考えがわき上がってくる。
次の瞬間、自分のその考えにあきれてしまう。
スザクが自分を護ってくれたのは、別の理由からだ。決して、自分自身を心配してくれたからではない。それがわかっているのに、未だに彼を求めてしまうとは、やはり未練からか。
今の自分には、ジェレミアもロロもいてくれるだろう。そう心の中で呟く。
「ロロ」
そして、すぐそばに控えていた彼に呼びかける。
「大丈夫です。必ず、お守りします」
どうやら、彼も何かを察していたらしい。即座にこう言い返された。
「無理はするな」
戦うことよりも安全圏に避難することを優先にすべきだろう。少なくとも、自分達は、だ。
「ここにはジェレミアもいるしな」
だから、ロロが戦うのは彼に万が一のことがあってからでいい。言外にそう続ける。
「ジェレミアは正式な訓練を受けた騎士だ。だから、彼が僕を護るために戦うのは、彼の権利だからな」
ロロが自分を護るのと同等の、とルルーシュは微笑む。
「はい」
事前に言い含められていたのか。ロロは素直にうなずいてみせる。
「何もないのが、一番、いいんだがな」
ルルーシュが呟くように口にした。しかし、周囲の気配から察して、きっと、何かがあるように推測できる。これも、あの頃の生活で身につけたことなのだろう。
「あそこです」
その間に、どうやら目的地に着いていたらしい。案内の者がこう言ってくる。
「そうか」
やはり周囲の空気がぴりぴりとしているな、とルルーシュは心の中で呟いた。さりげなく見回せば、監視カメラもこの部屋から微妙にずれた場所を移しているようだ。あるいは、同じ映像をループして流れるようにしているのかもしれない。
いったい何を計画しているのだろう。
ともかく、今はシュナイゼルの足を引っ張らないようにしないといけない。
「どうぞ」
ドアが開かれるとともに案内人が手で入室を促す。
室内には――記憶の中の面影よりも若いが――確かに見知った容貌の女性がいた。
「ラクシャータ・チャウラー?」
それでも確認のために彼女の名を口にする。
「えぇ。そうですわ」
嫌悪感すら感じさせる声でラクシャータは言い返してきた。それに気づかなかったふりをして、ルルーシュは微笑む。
「そうか。会えて光栄だ。あなたの論文は非常に興味深く読ませていただいた」
いくつかわからないことがあったが、と付け加える。
「読んだの?」
本当に、とその表情が問いかけてきた。
「興味がある分野だったので。ただ、人工筋肉と本来の精神をつないだときに起きると記されていた副作用について、本当に軽減できないのかどうかが理解できない」
あちらの世界で聞いたことがあるいくつかの薬品名を口にしながらそれで本当に軽減できないのか説明して欲しい、と続けた。
それは確か、彼女がこの年齢のときに見つけたものだと記憶している。だから、今、教えてもかまわないだろう。
「……ちょっと待ってくれる?」
しかし、目の前の彼女には予想外のことだったのだろう。慌てたように体の向きを変えた。
「あぁ、そうだわ。適当におかけください、殿下」
視線だけルルーシュに戻すと、とってつけたようにラクシャータは言う。
「軽減策については思いつきだとしても、私の論文を読んでくれたことだけは事実のようだから。それに関しては敬意を表しておくわ」
その言いぐさに、ジェレミアの機嫌が急降下していくのがわかった。
「ありがとう。遠慮なく」
だが、視線だけでルルーシュは彼を制止すると、空いている椅子に腰を下ろす。
「ロロ」
そのまま自分のそばに彼を手招いた。
「はい」
即座に彼は駆け寄ってくる。
「とりあえず、そんなに緊張をするな。だが、外の様子には注意を払っておけ」
そんな彼に小声で指示を告げた。そうした方が彼の精神的にはいいだろう、と判断したのだ。
「はい」
予想通りと言うべきか。彼はどこかほっとしたような表情を作る。
「何なら、見てきますが?」
それでも何かをしなければいけないと思っているのか。こう言ってきた。
「いい。ギアスは使うな、といつも言っているだろう?」
あれはロロの体に負担をかける。繰り返していれば、また、あの日の再現をこの目で見なければいけなくなるかもしれない。それでは意味がないのだ。
「第一、あれは使いすぎるといつまで経っても大きくなれないぞ」
ぼそっとそう付け加える。
「……それは……」
やはり男としてはそれなりの体格は欲しいのだろう。彼は表情を引きつらせながら言葉を漏らす。
「それはいやだろう? だから、使うな」
少し強い口調でこう言えば、彼は小さくうなずいて見せた。
「……なるほど。確かに、そちらの殿下のおっしゃることは正しいようだね」
そして、ラクシャータの方も結論が出たらしい。
「しかし、殿下はまだお小さいのに、よくもまぁ、あの論文を理解できたものだ」
「自力で、と言うつもりはない。わからないところは教授してもらった」
彼女の問いにルルーシュは笑みで返す。
「そう言うことなら、興味を持ったというセリフも嘘ではないようだね」
少しだけ表情を和らげるとラクシャータはそう言った。
「それで、何をどうしたいの?」
彼女はさらに問いかけてくる。
「その研究をテロで四肢を欠損した子供のために使えるかどうか、だ。それによって、個人的に研究費を援助してもかまわない、と考えている」
気に入らないかもしれない。だが、自分と同じような年齢の子供達の未来がテロによって奪われるのは不本意だ。毅然とした口調でルルーシュはそう主張する。
「もちろん、それが名誉ブリタニア人だろうと同じこと。できうる限りの援助を、僕はしたい」
彼の言葉に、ラクシャータは一瞬驚いたような表情を作った。
「おもしろい皇子様だね。でも、可能なのかい?」
だが、すぐに値踏みするように目をすがめる。
「父上にはすでに許可をいただいている。僕個人ができる範囲なら、自由にしてかまわないそうだ」
資金に関しては、ある程度、シャルルが援助をしてくれることになっている。他にも、株式投資などである程度はめどが立っている、と続けた。
「返事は急がなくていい。実際に動くには、まだまだ研究者が足りないからな」
それでも、ラクシャータは必要なのだが、と心の中で付け加える。
「……魅力的な申し出だけどね」
ブリタニアは嫌いだ、と彼女は口の中だけで付け加えた。
そのときだ。小さな音が耳に届く。
「ドアがロックされました」
それがなんなのか、ジェレミアはすぐに理解したらしい。
「ルルーシュ様」
固い声で呼びかけてくる。
「わかっている」
しかし、ここにはラクシャータがいる。襲われるとすれば、ここを出た後だと思っていたのに、とルルーシュは心の中で呟いた。
「どうやら、面倒ごとはいっぺんに片付けたいみたいね、連中」
苦笑とともにラクシャータが言葉を口にする。いつの間に取り出したのか。その手には銃が握られていた。
「優秀な研究者はきんにも勝る宝だと思っていたが?」
馬鹿なのか、とルルーシュはついつい口にしてしまう。
「本当に、あなたはおもしろい皇子様だわ」
ラクシャータは先ほどまでとは微妙に異なる声音でそう言った。
「そうね。ここから無事に出られたら、先ほどのお申し出、受けさせてもらうわ」
視線をドアの方へ向けながら、彼女はそう言う。
「それはよかった」
その言葉を聞いて、ルルーシュはきれいな笑みを浮かべた。