19
オデュッセウスとの話を終えてスケジュール通りにインドを離れることができたのは、間違いなくシュナイゼルが無理をしたからだろう。
「兄上。せめて、日本に着くまではゆっくりとお休みください」
さすがのシュナイゼルも疲労の色を隠せていない。だから、とルルーシュはこう進言する。
「君はどうするね?」
「とりあえず、覚えてきた日本語の復習をしておきます」
微笑みながらそう言い返す。
「覚えたのかい?」
驚いたように彼は問いかけてきた。
「はい」
それは、以前の話だ。だが、覚えていることは事実だからかまわないだろう。
「ラジオと本で何とかなるものですね」
基本的な会話は、とごまかすように微笑んだ。
「とりあえず、ひらがなも覚えましたけど……それだけでは不十分なようです」
カタカナとか漢字とか、いろいろとあって複雑だ。だが、それだからこそ覚え甲斐があるように思える。
「それと、将棋とか言う、チェスに似たゲームもおもしろそうでした」
「なるほど。興味深いね」
文化的にも、とシュナイゼルはうなずいて見せた。
「サクラダイトだけではなさそうだし」
やはり、こちらの世界にもあれは存在しているのか。それを巡って戦争にならなければいいのに、と心の中で呟く。
「ともかく、そうだね。ここで失敗しては意味がない。君の言葉に甘えて少し休ませてもらうよ」
そういうとシュナイゼルは己の副官へと視線を向けた。
「簡易ベッドは、いつでもお使いになれますわ」
カノンが即座に言葉を返す。
「ルルーシュ殿下もご一緒にいかがですか?」
シュナイゼルと添い寝をしろというのか。彼の言葉に、ルルーシュは心の中で吐き捨てる。思い切り身の危険を感じるような気がするのは錯覚か。
「あぁ、いいかもしれないね」
そして、シュナイゼルの笑みからいつもうさんくささが完全に消えている。これは危険信号のような気がする。
「いえ。僕はジェレミア達と打ち合わせをしておきたいので」
だが、それを顔に出すことはない。鮮やかな笑みとともにルルーシュはそう告げた。
「あちらでは自由に過ごしてよいと、父上から許可をいただいておりますから」
しかし、インドでのことを考えれば警戒は必要だろう。あちらと違って単一民族だけでしめられている日本の特性を考えればなおさらだ。自分達はどうしても異邦人だとわかってしまう。
もっとも、自分だけならばごまかそうと思えばごまかせるかもしれない。ブリタニア人と日本人のカップルがいないわけではないのだ。
しかし、ジェレミアはどう見ても純粋なブリタニア人だし、ロロもそう見える。
それでも自由に動くために、きちんと話をしておかなければいけないだろう。
「ですから、兄上お一人でお休みください」
自分は、夕べもしっかりと休ませてもらったし、と続ける。
「それに、今、下手に寝ると時差ぼけになりそうですから」
シュナイゼルのように、夕べ、徹夜をしたならば今眠っても大丈夫だろう。しかし、と続ける。
「みっともないところは見せられません」
この言葉に、シュナイゼルは小さなため息をつく。
「残念だが、仕方がないね」
本気でそう言っているのではないか。彼の表情からルルーシュはそう推測する。
「仕方がありませんわ、殿下。ルルーシュ様が一番楽しみにしておいでだったのが日本訪問ですもの。私にも経験がありますわ。楽しみすぎて、出かける前日は眠れなかったと言うことが」
カノンはそう言って微笑む。
「そういうものなのかい?」
自分には経験がないが、とシュナイゼルが彼に問いかけている。
「殿下も、ルルーシュ様がおいでのときにはそわそわしておいでですわよ? それがさらに強くなったものだと思っていただければいいかと」
この言葉でシュナイゼルは納得したらしい。
「眠くなったら、いつでも潜り込んできてくれていいからね」
しかし、最後にしっかりと爆弾を落としてくれるところがシュナイゼルらしい、と言っていいのだろうか。
「あら、殿下。そう言うことは女性におっしゃってくださいな。いくら可愛がっておいででも、弟君では犯罪ですわよ」
ころころと笑い声を盾ながら、カノンがそんな彼を制止してくれる。
「あまり羽目を外されますと、他のごきょうだい方から何を言われるか。責任を持てませんわ」
さらに彼はこう言葉を重ねた。
「兄上の行動の早さを魔のあたりした今となっては、その言葉を聞き入れないわけにはいかないね」
不本意だが、とどこかあきらめきれないような声音でシュナイゼルは言う。
「まぁ、それでもルルーシュの自主的な行動ならかまわないだろうがね」
いいわけにもなる、と彼はうなずく。
「と言うわけで、前言は撤回しないでおこう」
そう言い残すと、シュナイゼルはカノン達が用意した仮眠室へと姿を消した。
「兄上が有能なのは、あのあきらめの悪さも関係あるのだろうか」
その背が見えなくなったところで、ルルーシュは思わずこう呟いてしまう。
「申し訳ありませんわ、ルルーシュ様。どうも、ルルーシュ様のことになるとたがが外れるようですの。ナナリー様やユーフェミア様方ではここまでひどくないのですが……それでも、過保護でいらっしゃいますわね」
勝手に婚約を握りつぶしたり、とカノンが言った。
「婚約?」
ユーフェミアですら、自分と同じ年でようやく二桁の年齢になったばかりだ。それなのに、と思わずにいられない。
「大丈夫ですわよ。姉君方を差し置くわけにはいかないから、と言っておいででしたわ」
もっとも、それは口実だろう。
「コゥ姉上はまだしも、ギネヴィア姉上は結婚されるおつもりがあるのか?」
首をかしげながら、ルルーシュはこう呟いた。
「もっとも、そんなこと、ご本人にはうかがわない方がいいのだろうが」
今の彼女たちならば、笑って答えてくれるような気はする。それでも、女性にそのような無神経な質問をしたとなれば、あの母が黙っていないだろう。
せっかくやり直すチャンスをもらったのだ。そのチャンスを自分のミスで失いたくない。
「そうですわねぇ。いくらルルーシュ殿下でも、それは胸の内に納めておかれた方がよいでしょうね」
さすがに女性心理に詳しいな、とルルーシュは感心する。
「何故ですか。マルディーニ卿」
しかし、ジェレミアにはわからないようだ。
「いやですわ、ジェレミア卿。ですから女性に振られるのですわよ」
ころころとカノンが笑う。
「別に、私は……」
「わかっておりますわ。ジェレミア卿にとってはヴィ家の方々が大切でいらっしゃるのでしょう? それでも、女性心理は学んでおかれた方がよろしくてよ?」
マリアンヌは特例だから、とカノンはもっともなセリフを口にした。
「忠告、ありがとう」
ジェレミアも何かを感じ取ったのか。そう言い返している。
「そういえば、お前には気になる女性はいないのか?」
前も今も、彼の周囲の女性の影は感じられない。しかし、名家の跡取りである以上、結婚しないわけには行かないのではないか。ふっとそんなことを考えて問いかけてみる。
「残念ですが、そこまで余裕がありません。いざとなれば、家は妹に継がせますから、ご心配はいりません」
これは、言外に自分の騎士になりたいといっているのだろうか。
「そうか。と言うことは、最終的に、お前にアリエスの警備を任せても大丈夫と言うことか」
ルルーシュがそう言った瞬間、ジェレミアが嬉しそうな表情になった。
しかし、そうなったらマリアンヌが本気で帰ってこなくなるような気がする。別にそうなっても困らないかもしれない。すぐにそう思い直す。
もっとも、ジェレミアにとっては不幸かもしれない。
「しかし、そう言うことになったら、母さんにしごき抜かれるな」
こう告げた瞬間、彼の表情がこわばった。
「がんばってくださいね、ジェレミア卿。シュナイゼル殿下のためにも」
カノンはそう言って彼に軽く頭を下げる。そのまま、視線をルルーシュへと戻した。
「それでは、ルルーシュ様。私はシュナイゼル殿下のおそばに戻りますわ。何かありましたら、遠慮なくお呼びくださいませ」
言葉とともにカノンは深々とルルーシュに頭を下げる。
「兄上にゆっくりお休みいただいてくれ。おそらく、日本についたら、また一騒動ありそうな気がする」
命の危険は少ないだろう。だが、徹底的に揚げ足をとろうとするのではないか。ルルーシュはそう考えていた。
「そのときに、兄上の判断力にわずかでも鈍りがあってはまずい。僕がミスをするなら笑ってごまかせるだろうが、な」
この外見を利用すれば、だ。
むしろ、それが自分の役目のように思える。
「そのような状況になるはずがありませんわ」
「わかっている。だが、ごまかすにはそれが一番いいだろうな」
自分の評判は多少落ちるだろう。だが、それについてはかまわない。ルルーシュにとって重要なのは、ただひとつの希望が叶えられるかどうかだ。それ意外、あの国で望むことはない。
だが、同時に『怖い』とルルーシュは思う。
他の者達の様子を見ていれば、彼らに過去の記憶はない。だが、自分達には血縁を含めたつながりがあった。
しかし、彼とは何もない。
あのとき、自分達が日本に送られなければ、出会うはずがなかった。
あちらと同じようにあの日マリアンヌが命を落とし、自分がシャルルにたてつけば、同じような出会いが待っていたかもしれない。
しかし、運命は変わった。
果たして、彼と出会えるかどうか。
「兄上の足を引っ張らない程度に引っかき回すかもしれないが」
そのときは、フォローを頼むかもしれない。そう続ける。
「もちろんですわ」
お任せください。そう言い残すと、カノンは仮眠室へと向かう。
「そう言うことだから、お前たちもさんざん振り回すぞ」
彼を見送りながらルルーシュはジェレミアとロロに告げる。
「Yes.Your Highness」
「お任せください」
何があっても、この二人がいてくれれば大丈夫ではないか。そう考えるルルーシュだった。