21
自分に用意されたのは、フリルのついた白いシャツと、刺繍の施されたスーツだった。それに、赤いマントを羽織る。
「よくお似合いです」
ジェレミアがそう言って満足そうな表情を浮かべていた。
「そうか?」
下がスカートならば女性用と言ってもおかしくないのではないか。だが、あわせは確かに男性用か。そう思いながら言い返す。
「もちろんです。マリアンヌ様のお見立ては間違っておられません」
それでこの服を用意させたのが誰か、わかってしまった。きっと、ナナリー達とおそろいになるように仕立てさせたのだろう。
「ならばいいが」
こう言いながら、視線をロロへと移動させる。
「お前は大丈夫か、ロロ」
ジェレミアはいつも通り、軍服を身にまとっているから問題はない。だが、ロロのそれは急遽仕立てさせたものだ、と聞いている。だから、仮縫いなどしていなかったはずだ。
「大丈夫です」
そう言って彼は微笑む。
「そうか。アリエスに戻ったら、きちんとしたものを用意する。今日はそれで我慢しておけ」
「これで十分です」
ルルーシュの言葉にロロは即座にそう言い返してきた。
「だが、武器を隠せないだろう?」
小さな笑いとともに告げれば、ロロは自分の衣服を確認する。そして、すぐにうなずいて見せた。
「母さんのドレスがそうだからな」
あれだけ華麗で繊細なドレスのあちらこちらに武器を隠している。そうしないと安心できない、と言うのが彼女の主張だ。
「あの方は、騎士でいらっしゃいますから」
皇妃である前に、とジェレミアが言う。
「もっとも、今はルルーシュ様とナナリー様の母であることを最優先にされておられます」
それはどうだろうか。
「だといいが……母さんだからな」
とりあえず、この程度で終わらせておく。
「兄上の準備はできておいでだろうか。そろそろ時間だと思うが」
話題を変えるためにこう続けた。
「確認してきましょうか?」
ロロが口を開く。
「そうだな。そうしてくれ」
ルルーシュが答えるよりも先にジェレミアがそう言った。
「はい」
嬉しそうに言葉を返すと、ロロはすぐにシュナイゼル達がいる部屋へと歩き出す。
「なれてきたようだな」
ルルーシュは小さな笑みとともにこう言う。
「えぇ。後はマリアンヌ様にお目にかかったときにどのような反応をするか。心配はそれだけですね」
「……否定できないのは、悲しいな」
マリアンヌなら喜んであれこれと教えようとするだろう。しかし、それにロロが我慢できるかどうか。
「アーニャを見ていれば大丈夫な気がするが」
後でマリアンヌには釘を刺しておこう。ルルーシュはそう心の中で呟いた。彼にいやがられては意味がないのだ。
「シュナイゼル殿下の準備はそろそろ終わるそうです。リビングで待ていて欲しいとマルディーニ卿からの伝言です」
まっすぐにルルーシュの前に歩み寄ってくると、ロロはそう言った。
「ご苦労だったな、ロロ」
言葉とともに微笑めば、彼は嬉しそうな表情を作る。
「今晩の式典が終わればとりあえず堅苦しい行事はなくなるはずだ」
がんばるしかあるまい、とルルーシュは続けた。
「ルルーシュ様なら、大丈夫ですよ」
ジェレミアが即座にそう口にする。
「だといいがな」
ここは日本だ。見覚えのある顔も大勢いるだろう。うかつなことを口走らないように気をつけなければいけない。今回は気が抜けない、とルルーシュは心の中で呟く。
「まぁ、いい。なるようになるだろう」
こう告げると同時にルルーシュは歩き出す。
大きな窓越しに茜に染まった空が見えた。
各国の要人との会食となれば、必ず、挨拶を延々と受けることになる。しかも、今回は立食パーティだ。余計に挨拶に来るものが多い。
「兄上だけで十分だろうに」
自分に顔と名前を売ったところで、自分が国政に参加できるようになるまで相手がいるかどうかわからない。
「そうおっしゃらずに。あちらとしては必死なのですから」
苦笑とともにジェレミアがささやいてくる。
「……わかっている。ただ、忘れるのも面倒くさい、と思っただけだ」
不本意だが、一度挨拶をされれば覚えてしまう。そんな相手を忘れるにはそれなりに努力するしかない。心の中でそう付け加えた。
「ルルーシュ様らしいお言葉です」
ジェレミアがそうささやいてくる。
「そうか? でも、六番目にあった男の会社は気になるな。後でカノンにでも教えておこう」
そう言ったときだ。いきなり目の前の人垣が左右に割れた。視線の先に、和服をきちんと着こなした老人とルルーシュと同じくらいの年齢の子供達の姿があった。
彼らの姿を認めた瞬間、ルルーシュは心臓が止まるかという衝撃を受ける。
会うかもしれないとは覚悟していた。
しかし、実際にその姿を見ると、これほどまでに動揺するものなのか。それとも、自分がイレギュラーに弱いだけなのか、と悩む。
だが、内心の動揺を表情に出すようなまねはしない。笑みを浮かべて彼らが近づいてくるのを見つめていた。
『ルルーシュ殿下。お初にお目にかかります』
老人が日本語で呼びかけてくる。
『桐原泰三と申します』
ルルーシュのすぐ前で足を止めると桐原はこう言った。
『初めまして、桐原殿。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアです』
それに、当然のように日本語で返す。その瞬間、桐原が破顔した。
『話には聞いておりましたが、本当に日本語がお上手でいらっしゃる』
感歎したように彼はそう言う。
『失礼かと思ったが、日本語で話しかけてよかった』
そういうと同時に、彼は両脇にいた二人の背中に手を添えると前に押し出す。
『ここにおるのは儂の孫のような子です。殿下にお目通りをと思っておりましたが、ブリタニア語が話せませんのでな。どうしたものかと悩んでおりましたら、殿下が日本語がおできになるとお聞きしましたのでな。思い切って連れてきました』
挨拶を、と桐原は二人に向かって告げる。
『初めまして、ルルーシュ殿下。皇神楽耶、と申します』
即座に口を開いたのは神楽耶の方だった。文句がつけようのない所作で礼をとる。
『初めまして』
本心から歓迎しているように思えないのは、きっと、自分が知っている《神楽耶》と目の前の少女をダブらせてしまうからだろう。それでも、こちらが真摯な態度で接していれば信頼を得られる、とわかっているだけましかもしれない。
いずれは、彼女とのつながりが必要となる日が来るかもしれないのだ。
微笑みを浮かべながら心の中ではそう考えていた。おそらく、神楽耶も同じようなことを考えているはずだという確信がある。
だから、彼女に関してはとりあえずはこれでいいだろう。
後問題は、と思いながら、視線を移動させる。そうすれば、自分をにらみつけている緑の瞳とぶつかった。
嫌われているのだろうか。即座にそう考えてしまう。
そういえば、あちらの《スザク》も出会いは最悪だった。それでも、時間がすべてを解決してくれた。それとナナリーの存在が、だ。
しかし、今の自分達の間にはそのどちらもない。
それは最初からわかっていたことだろう、とルルーシュは心の中で繰り返す。
『スザク……挨拶もできんのか、お前は』
桐原は桐原で、彼の行動を非難するように怒鳴りつけている。
『ゲンブが何を考えておるかはともかく、客人に挨拶をするのは当然のことだぞ』
そういうと、桐原はスザクを小突く。
『そうですわよ、お従兄様。殿下が日本語を覚えていらしたのです。せめてご挨拶ぐらいしてくださいませ』
さらに神楽耶までもがこう言った。
それでも、スザクは口も開こうとしない。
この状況は全く予想していなかった。いったいどうすればいいのだろう。ルルーシュは自分の次にとるべき行動を判断しようとする。しかし、ただでさえ精神的に揺らいでいる上にイレギュラーが続いている状況では、上手く答えを導き出すことができない。
「ルルーシュ様?」
言葉はわからないものの、状況の異常さに気づいたのだろう。ロロがそっと呼びかけてくる。
「とりあえず、そのまま待機だ、ロロ」
友好を深めるために来ているのだ。下手な行動をとってすべてを壊すわけにはいかない。
そう告げたときである。スザクが手を伸ばすとルルーシュの頬に触れて来た。
「何を」
するのか、と続けようとする。しかし、目の前でスザクが嬉しそうに笑ったのに見とれてできなかった。
『夢じゃない』
スザクはその表情のまま、言葉を綴る。
『たぶん、俺はお前を知っている。ここじゃないどこかで』
彼が何を言っているのか、すぐには理解できない。
『スザク、くん?』
そう呼びかける。
『ずっと前から、お前に会いたと思っていたんだ、俺は』
ルルーシュが何者か、わからない頃から、ずっと。
言葉とともにスザクがルルーシュを抱きしめる。その腕のぬくもりにルルーシュは心の中で何かが解けていくのを感じた。
それが、新しい始まりだった。