09
体が重い。
手足の先から何かがこぼれ落ちているような気がする。
「今度ばかりは、お前も助かりそうにないな」
C.C.の声が耳に届く。
「リセットする時間は、あるだろうが」
彼女のその言葉に、スザクは唇に小さな笑みを浮かべる。
「もう、終わりにしようか……」
力ない声音でそう告げた。
「スザク?」
意味がわからない、と言うようにC.C.が問いかけてくる。
それは当然だろう。
しかし、だ。
これ以上は危険だ。そうささやく声が自分の中にある。そして、それは受け入れなければならない事実なのだ。
「たぶん、こんな風になるのは、僕があれこれと世界の流れを変えようとしているからだ。本来の流れに小石を投げ入れる程度ならともかく、大きく変えようとするのに、世界が反発しているんだと思う」
だから、とスザクは続ける。
「世界を二つに分ける」
元々自分達がいた世界と、ルルーシュが幸せになれる世界。それを完全に分けてしまえば、衝撃は少ないだろう。
そして、とスザクは苦笑を深める。
「このギアスを持っている僕と、僕が変えまくったこの世界は消える。それが、その代償だ」
それで、すべては元通りになるだろう。
「……いいのか?」
それで、とC.C.は問いかけてくる。
「このまま、すべてを混乱に巻き込むよりいいと思うけど?」
低い声で笑った瞬間、痛みが伝わってきた。痛みを感じると言うことは、まだしばらくは大丈夫のようだ。
「それでは、お前があいつの幸せな姿を見られないぞ?」
C.C.はさらに言葉を投げかけてくる。それは、自分に努力することをあきらめさせまいとしているようだ。
「……夢で見るぐらいはできるようにしておくさ」
そう。
最初から夢だったと思えばいい。
幸せな悪夢。
あるいは、アンハッピーエンドの幸せ?
矛盾しているが、自分の語彙ではそんな風にしか表現ができない。スザクはそう思う。
「ひょっとしたら、こんな幸せな世界があったかもしれない。そう考えるだけで、十分だ。そう言うと思うよ、俺なら」
例え、自分の手が届かなくても、ルルーシュが笑っていてくれればいい。
あの後の自分なら、きっと、そう考えるに決まっている。
「……断念する気はないようだな」
ため息とともにC.C.が問いかけてきた。
「元々、今こうしているのが夢みたいなものだしね。長い夢を見ていただけだよ」
あのとき、ギアスを受け取っていなければ、こんなことにはならなかった。きっと、今頃は幸せだった時間だけを思い出して、それで満足していたのではないか。
「もう、三桁以上、人生をやり直しているんだし、そのくらいは理解できるようになっているよ」
だからこそ、割り切れたのかもしれない。
「お前は本当に前向きだな」
ため息とともにC.C.はそう言う。
「私は、まだ、割り切れないのに」
何年経とうと、割り切れそうにない。彼女はどこか苦しげな表情でそう告げた。
「いいんじゃないかな、それで」
自分の代わりに、すべてを見ていてもらいたいし。スザクはそう言って笑う。
「君は《魔女》だからね」
自分が忘れるであろう真実をC.C.だけは覚えていて欲しい。
「もっとも、これは僕のわがままだ」
いやならばいやと言ってくれていい、と言外に告げる。
「かまわないぞ」
C.C.はあっさりと言葉を返してきた。
「私は魔女だからな。そのくらいの重荷は必要だろう」
何よりも、結果がわからないのはいやだ。彼女はそう言いきる。
「お前の決意は固いようだな」
これ以上、時間を引き延ばすのも不可能なようだ。彼女はため息とともに呟く。
「仕方がない。好きにしろ」
お前が始めたことだ、と付け加えながら、C.C.はスザクの頬に触れてくる。
「お前がそれでいいというなら、私には何も言えない」
あいつの時と同じように、と続けた。
「私は、ただ、見守るだけだ」
その言葉の裏に、どれだけの気持ちが込められているのか。想像に難くない。
「ごめん」
だから、スザクは素直に謝罪の言葉を口にする。
「あきらめているよ、最初から」
C.C.のこの言葉に、スザクは苦笑を深めた。そのまま、彼は目を閉じる。
次の瞬間、急速に意識が闇の中に吸い込まれていく。その中で、スザクは、最後の夢を見ていた。
それは、ある意味、幸せな夢だった。
最後の最後に、自分の望む世界を手に入れられた。
だが、それは決して自分のものにはならない。だからこそ、きれいなのだろうか。
それでも、この光景を見られただけでもいい。
心の中でそう呟きながら、スザクはすべてを手放した。
目を覚ますと同時に、見覚えのある緑が視界を埋めてくれる。
「目が覚めて真っ先に君の顔を見るなんて、最悪だよ」
ため息とともにスザクはそう言う。
「せっかく起こしてやったのにか?」
うなされていたようだからな、とC.C.は言い返してきた。
「うなされていた?」
そんなはずはないのに、とスザクは考える。
「いい夢だったと思うけど?」
そう。幸せな夢だ。
何も知らない自分とルルーシュがであう夢。
あのまま成長していったら、自分達のように憎しみあうことはないだろう。
しかし、彼女はそれを別の意味だと受け取ったらしい。
「……そうか。飯の夢か」
そんなに腹が減っていたのか、とC.C.はあきれたように言った。
「何でそうなる!」
即座にスザクは言い返す。
「お前の腹が、さっきから盛大に騒音を立ててくれているからだ」
即座に言葉が投げつけられる。それでようやくその事実に気づいた、と言うのはあまり嬉しくないな。スザクはため息とともに心の中で呟く。
「全く……人の安眠を奪っておいて、それか」
気が緩んでいるのではないか。その指摘は甘んじて受け入れるべきなのだろうか。
「先ほど、咲世子が顔を出したぞ。今日の朝食にはナナリーも顔を出すそうだ」
シュナイゼルはわからないが、と彼女は続ける。
「そう。じゃ、起きないとね」
意識を切り替えると、スザクは体を起こそうとした。しかし、C.C.が覆い被さるようにしているので、できない。
「どいてくれないかな?」
起きたくても起きられないだろう、と言外に付け加える。
「お前は今、幸せか?」
それに対して返されたのはこんなセリフだ。
「……C.C.?」
いったい何を言いたいのだろうか、彼女は。そう思わずにいられない。
「あいつに頼まれているからな」
それだけだ、とC.C.は笑う。
彼女が言っているのが誰か。想像がついてしまう。
「本当に、最後までお節介だね」
彼も、とスザクは呟く。
「幸せかどうかなんて、わからない。ただ……」
「ただ?」
「やるべきことがあるのはいいと思うよ。生きていると実感できるから」
そして、そう感じられている間は死にたいと思わないだろう。
ルルーシュは、自分がこうして生きているのは『罰だ』と言った。しかし、本当は自分にとっては救いだったのかもしれない。今ならばそう思える。
「そうか」
自分の答えに満足したのだろうか。C.C.はあっさりと下りていく。
「では、先に食堂に行っているぞ」
そのまま、彼女は歩き出した。
「何なんだよ、本当に」
人の睡眠を邪魔しただけか。それとも、寝言で何か余計な事を言ってしまったのか。
どちらにしろ、彼女は教えてくれないだろう。
「ともかく、朝食だな。ナナリーを待たせるわけにはいかない」
ため息とともに独白をする。そのまま、スザクはベッドから滑り降りた。
廊下に出ると同時に、C.C.は淡い笑みを唇に刻んだ。それはいつもの笑みではない。もっと慈愛に満ちたものだ。
「本当に、これでよかったのか?」
その表情のまま、彼女は呟く。
「よかったんだろうな、きっと」
どちらの世界でも《スザク》は後悔していない。だから、と続ける。
「最後まで、見守っていてやるさ」
お前たちの命がつきるまでは、口の中だけで告げた。
その後はどうするのだろう。自分でもわからない。
だが、今はそれでいいと思う。
「そうだろう?」
問いかけた言葉に答えは返ってこない。だが、C.C.は微笑んだまま、歩き出した。