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皇帝の座につくと同時に、誰もが自分のそばから離れて行ってしまった。双子の兄ですら、滅多に会うことはできない。
力さえ手に入れれば何でもできる。
そう信じていたのに、それは幻想だったのだろうか。
「……会いたい、と言ってはいけないのでしょうか」
小さな声で呟いた名前は、兄のものでも、そばにいてくれた者達のものでもない。すでに遠くに行ってしまった《彼》のものだった。
たったひととき、ともに過ごしただけの彼が、どうしてこうも忘れられないのだろうか。そう考えなくても答えはわかっている。
彼だけが自分たちに真摯に向き合ってくれたから、だ。
よいことはよい、悪いことは悪い、と教えてくれたのも彼だけだった。
男性に向かっていってはいけないかもしれないが、彼は母親のようにも思えた。
あるいは、家族だろうか。
「また会える、とC.C.は言ってくれていたが……」
本当にそんな日が来るのだろうか、と不安になる。
同時に、彼がなんと言ってくるのか。それも怖い。きっと、自分たちは恨まれているはずだ。
それでも、自分も兄も彼から与えられたものを忘れてはいない。忘れられるはずがない。
「……誰にとっても優しい世界……」
それはどのような世界なのだろうか。
「L.L.はなんと言っていただろう」
それについて、と彼は呟く。確かに聞いた覚えがあるのに、何故か思い出せない。
まるで、そこだけ記憶が抜け落ちているようだ。
「兄さんなら、覚えているだろうか」
ふっとそんな言葉がこぼれ落ちる。
「それを口実に、兄さんと会うのもいいかもしれない」
時間は作ればいい。
一度心を決めてしまうと、気持ちが楽になった。
「後で連絡を入れなくては」
その前に仕事を終わらせてしまおう。自分が優秀さを見せつければ、他の者達は文句を言えなくなるはず。シャルルはそう信じていた。
だが、それは幻想だった。
目の前が緋に染まる。
「兄さん!」
そのまま、ゆっくりと倒れ込んでくる体をシャルルは抱き留めた。同時に、護身用の銃で相手の眉間を撃ち抜く。
「大丈夫ですか、兄さん」
相手が吹き飛んだのを横目にシャルルは腕の中の兄にそう問いかける。
「大丈夫だよ。このくらいじゃ、僕は死なない」
知っているだろう? と口にしながら彼は目を開けた。
「もちろん、知っています。それでも、心配なのです」
同じ言葉を口癖のように言っていた彼は、最後には戻ってきてくれなかった。それが、子供のまま時間を止めた兄を、自分の元に返してくれるためだった、とわかっていても、まだ割り切れない。
「それよりも、だめだよ、一人で出歩いちゃ」
ちゃんと護衛をつけないと、とヴィクトル――今はV.V.と呼ばれている彼が小言を口にした。
「それが護衛だったのですが」
つい先ほどまでは、信頼が置けると思っていた人間だ。それが簡単に豹変するとは思っても見なかった。
「そうなの?」
「はい、兄さん」
自分が目をかけて引き立てた人材だ、とそう言う。
「……という事は、また馬鹿が動き出している、と言うことかな」
たたきつぶしたはずなのに、と彼はため息をつく。
「まぁ、いいや。それに関しては僕の方で調べておくよ」
シャルルが動いていると知られない方がいい。彼はそう続ける。
「幸い、C.C.が嚮団の嚮主の座を押しつけてくれたからね。使えるものが増えた」
だからといって、捜し物が見つかるわけではないが、と彼は小さくため息をつく。それが何を指しているのか。シャルルにも想像がつく。兄もまた、彼を忘れていないのだろう。
「とりあえず、移動しませんか」
シャルルはそう提案をする。
「そうだね。あれも片付けるように指示を出さないと」
せっかく、シャルルに会えたのに……と彼は頬を膨らませた。そうしていると、あの頃のままだ。
「私も、残念だと思っていますよ、兄さん」
彼らの言動を、とシャルルもため息をつく。
「とりあえず、君の身の安全の確保、だね」
それについても、今日はちゃんと話をしよう……と彼は言ってきた。
「君まで失いたくないからね」
その言葉に、シャルルは一瞬目を見開く。だが、すぐに微笑み返した。
黄昏の間、と名付けられたここは、自分たちが生まれる前からここに存在していた。だが、その扉が開かれることは、自分がここに戻ってくるまでなかったらしい。
それがどうしてなのか。
『ギアスを手に入れられる資格を持ったものがいなかっただけだ』
C.C.がそう言っていたはず。それがどうしてなのかは、わからない。
あるいは、彼女がギアスを与えたいと思ったものがいなかったからなのだろうか。
「ここは、静かで落ち着きます」
彼と暮らしていたあの日々のように、とシャルルは口にする。
「そうだね」
確かに、と兄もうなずいてくれた。
「でも、あの人はどんな気持ちだったんだろう」
憎んでいた自分たちの面倒を見ている間、と彼は続けた。
「……わかりません」
彼はいつでも優しかった。
知らないと言えば、どんなことでも教えてくれた。
「ただ、優しい世界を作りたかった、といつも言っていました」
兄さんも覚えているかもしれないが、とシャルルはさりげなく自分が気にかかっていることを話題にする。
「覚えているよ」
確かにそう言っていた、とV.V.はうなずく。
「どんなハンデがあろうとも、その尊厳を認められる世界、と言う意味だと受け止めていたけど」
そう彼は続ける。
「強いものが絶対、と言うこの国の国是とは真逆ですね」
それでは、彼がこの国を嫌っていても仕方がない。
「でも、今の皇帝は君だ」
これからこの国を変えていけるとすれば、それはシャルルだけだ、と彼は言う。
「わかっています」
弱いものも認められる世界。
そのヒントだけで今は十分だ。
心の中でそう呟く。
「そういえば、生まれたの?」
君の子供、と兄が問いかけてくる。
「……男の子でした」
静かにそう言い返す。
「そう。よかったね」
君にも新しい家族ができたね、と彼は言う。
「そう、なのですが……まだ、実感がわきません」
確かに、あの子供は自分の子だ。それは確認してある。だが、そうだからと言って無条件で愛せるわけではない。
「なかなか、顔を見ることもできませんし」
そう続ける。
「そのうち、父親としての自覚が出てくるよ」
たぶん、と彼は笑った。
「残念だけど、それに関しては経験したことがないからね。伝聞でしかないけど」
「兄さん……」
「気にしなくていい。この命はあの人がくれたもの。そして、いつか、あの人に返すもの、だ」
C.C.はいつか彼に再会できるかもしれない、と言っていた。そのとき、彼が望むならばこれを彼に返そう。しかし、と彼は続ける。
「あの人は、この力は《のろい》だと言っていた。なら、僕が抱えていってもいいかな」
また彼にほほえみかけてもらえるなら、と告げる兄の表情は自分に向けるものと同じくらい優しい。
「そうですね」
いつか来るかもしれないその日を、自分も楽しみにしていよう。シャルルはそう言ってうなずく。
その日までに、彼の望む『優しい世界』を作り上げられればいい。
そのためには、まず、あれらを完全に排除しなければいけないか、と決意を固めていた。