5
V.V.との会話の機会は、予想以上に早く訪れた。
いや、それは最初からわかっていたことかもしれない。あのとき、彼もあの場にいたのだ。
「本当にやっかいなことになったね」
シャルルの顔を見た瞬間、彼はため息とともに言葉を漏らす。
「また、同じことを繰り返すつもりなのかな?」
そう告げる彼の表情は暗い。
「おそらくは……」
今日調べただけでも、ルイとその周囲の者達が彼の血筋の正当性を吹聴している証拠が片手の指ほど見つかった。
事実、彼の祖父は先々代の皇帝であり、その母はその姉姫の孫である。父方と母方、両方から皇帝の血を引いていることは事実だ。
それに対し、自分達の母は伯爵家の出身であの頃も皇位継承権は決して高くなかった。
しかし、今は、と言えば自分は皇帝であり、彼はあくまでも大公家の当主である。いくらその血筋の正当性を主張しても意味はない。
だから、それだけならば無視してもかまわないのではないか。
問題なのは、彼が申告しているよりも多くの兵力を手にしているらしい。
しかし、それだけで即彼を処分できない、と言うことも事実だ。
彼の妹がシャルルの后の一人なのである。
そして、その後ろ盾があったからこそ、即位直後の混乱を乗り越えられたと言うことも否定できない。
「……おそらくだけど、ね。彼女との間に子供ができなかったことが、今回のことに関わっているかもしれないよ」
「兄さん?」
シャルルの言葉の意味がわからない。その気持ちを込めて彼に呼びかける。
「彼女との間の子供を皇帝の座につければ、彼は外祖父として権力を振るえる。でも、実際にはそのための駒がいない」
ならば、自分が直接、玉座に座ってしまえばいい。そう考えているのではないか、と彼は言う。
「その考えが玉座を血で染めるというのに……」
あのときもそうだった、と彼はため息をつく。
「だからこそ、繰り返してはならぬのだ」
あの日々は、と呟く。
「そのためならば、己がなんと言われようとかまわぬ」
最終的に優しい世界を作れればいい。そして、それを次世代に受け継がせていくことができるのであれば……と続けた。
しかし、そのためにまた血を流さなければいけないのか。
そう考えればため息がこぼれ落ちる。
「ため息をつくと、それだけ幸せが逃げるというよ」
シャルル、と言う呼びかけとともに、小さな体が背後から抱きついてきた。
「兄さん?」
珍しい。彼がこんな行動に出るのはいったい何年ぶりだろうか。
こんなことを考えながら振り向く。
「だめだね。抱きしめてやろうかと思ったのに……こうしてすがりつくのが精一杯か」
ちょっと悔しい、と彼はシャルルの背中に体を預けたまま口にする。
「代わりに、私が兄さんを抱きしめればいいだけのことでしょう?」
言葉とともに彼の体の位置を変えた。そして、膝の上に小さな体を座らせる。
そうすれば、彼の体はオデュッセウスと同じか、それよりも小さいのだと改めて認識できた。つまり、自分もあの人と一緒にいた頃はこのくらい小さかったと言うことだろう。
あの頃から、何も変わっていないような気がする。
「僕が、君を抱きしめたかったんだけどね。こういうときは、人の体温が効くってあの人が教えてくれたから」
ちょっと残念、とV.V.は呟く。
「まぁ、君の場合、僕よりも女性の方がいいのかもしれないけど」
「そんなことはありませんよ」
確かに、女性の方が抱きしめたときに柔らかいが……と心の中で付け加える。だが、それと彼とは別次元だ。
「兄さんのぬくもりは、とても安心できます」
それは、彼が無条件で信じられる存在だから、だろうか。
「そう言ってもらえるとうれしいよ」
V.V.がそう言って微笑む。
「それとね、シャルル」
ふっと思い出したというように彼はさりげない表情で続ける。
「君の后妃の一人に死んでもらおうね」
とりあえず、あの男の口実をつぶしてしまおう。彼はそう告げた。
「兄さん?」
「あの女、君のナイト・オブ・ワンを誘惑していたし」
きっと、それで彼を自分達の味方につけようとしていたんだろうね……と彼は続ける。
「……馬鹿なことを……」
どちらが、とは言わない。それでも、信じたいと思っていた相手がそんなことを考えていると知るのは悲しい。
「シャルル?」
「……とりあえず、放っておいてかまいません」
自分が片をつける。シャルルはそう言った。
「どのみち、火種を消せないなら、一気に消火した方が後々のためになります」
汚名は自分がかぶればいい。だから、と心の中だけで続ける。
「君は優しすぎるよ、シャルル」
ため息とともにV.V.が言葉を吐き出す。
「もう少し、僕に肩代わりさせてくれてもいいのに」
その方が楽だろう? と彼はシャルルの瞳をのぞき込んでくる。
「ですが、兄さんはすでに大きな荷物を背負っておられます」
だから、このくらいは自分でやらなければいけないのではないか。現在、皇帝のいすに座っているのは自分なのだし……とシャルルは続けた。
「兄さんは、私が何をしても否定しないでくれなければ、それで十分です」
V.V.に否定されるのが一番つらいから、と正直に口にする。
「僕は、君が何をしても否定しないよ」
言葉とともに、そっと彼はシャルルの首に自分の腕を回してきた。
「だから、もう少しお兄ちゃんを頼りなさい」
そのまま、冗談交じりの声音でそう言う。
「はい」
兄のそんな言動は、やはりあの人に似ている。だからなのだろうか。素直にうなずくことができた。
それにしても、とシャルルはため息をつく。
「状況は思ったよりも悪いようだな」
目の前の書類に記されている名前。その多さにめまいすら感じてしまう。
「どうなさいますか? 陛下」
マリアンヌがこう問いかけてくる。
「今しばらく放置しておけ」
こいつらに関しては、と彼は言い返す。
「ただ、一般兵まであちら側に付かれてはやっかいだな」
数の優位はなかなかひっくり返せないから、と続けた。
「それに関しては、後で根回しをしておきますわ」
マリアンヌがそう言って微笑む。
「顔見知りのものも多いですし、弱みを握っている連中もおりますから」
そう言って目を細めたときの表情は、本当に彼に似ている。だからだろうか。彼女の言葉は妙に信用できる。
「任せる」
「御意」
シャルルの言葉に、彼女は静かに頭を下げた。
その姿を見ながら、自分は彼女本人を気に入っているのか、それとも……と心の中で呟く。
気になったのは、確かに彼に似ているからだ。
しかし、そばに置いているのはそれだけではない。
彼女自身の資質を認めているからだ。
それでも、自分にとってどちらが重要なのか。それを見極めなければいけない。
もっとも、だからといってうかつなことを口に出すことはできないが……とため息をつく。
「……陛下?」
何か、とマリアンヌが問いかけてくる。
「お前に縁談を持ちかけてきたものがいたと聞いたな、と思い出しただけよ」
ルーベンがそのような話をしていた、と続けた。
「……それはお耳汚しを」
苦笑とともに彼女は言葉を返してくる。
「でも、すべて断りましたわ」
自分はシャルルのそばにいる方がいい。他のことは考えられないから……と口にした彼女の本意はどこにあるのか。だが、それがただの義務感だとしてもうれしいと思える。
「そうか」
だが、それを彼女に伝えるべきではない。そう考えて、ただうなずくだけにしておく。
「……そういえば、陛下」
「何だ?」
「このことを相談した知人が、実は陛下と顔見知りだと申しておったのですが……」
本当なのだろうか。彼女はそう問いかけてくる。
「私と?」
「はい。ルーベン様とも知り合いらしいですわ」
今まで知らなかったが、とマリアンヌは首をかしげて見せた。
自分だけではなくルーベンとも知り合いならば貴族なのだろうか。しかし、それならばどうしてその事実を彼女が知らなかったのだろう。
「……名前を聞いてもかまわぬか?」
いったい誰なのか。そう思いながら問いかける。
「C.C.と言います。本名は……未だに教えてもらっておりません」
申し訳ありません。そう彼女は告げる。だが、それは彼女が謝ることではないだろう。
「C.C.とは、懐かしい名前だ」
そうか、とうなずいてみせる。
「会えるものならば、会いたいものよ」
きっと、兄も喜ぶだろう。心の中でそう呟いていた。