真夏の蜃気楼
37
あと少しで租界に入る。そう思ったときだ。
「ジュリアス卿、これをお願いします」
そういうとスザクは彼にレシピ集を押しつける。そして銃を引き抜いた。
「何者か」
スザクから渡されたレシピ集を小脇に抱えながらジュリアスがそう誰何する。同時にばらばらと物陰から数名の人影が出てきた。見たところ、全員十代後半から二十代らしい。
「枢木スザク、だな」
一人が問いかけてくる。
「だとすれば、何でしょうか」
警戒を解かずにスザクは聞き返した。
「ついてきてもらおう」
低い声で男がこう言ってくる。
「断る!」
男の言葉にスザクはきっぱりと言い切った。
「なぜだ!」
「僕はブリタニアの軍人です。護衛対象から離れるわけにはいきません」
それとも、とスザクは続ける。
「日本軍人は護衛対象を見捨てて逃げ出すと?」
そうなのか、と相手をにらみつけた。
「どうなんですか、朝比奈少尉」
「そんなことはない!」
「ならば、僕が断った理由はおわかりになるはず」
守るべき対象を放置するわけにはいかない。いくら知己の呼び出しだとしても、だ。
「……そう、だな」
確かに護衛対象を放り出してこちらに来るわけにはいかないか、と彼はうなずく。
「それ以前に、私が認めないが」
ジュリアスがそう言う。
「日本側が捨てたのを私が拾い、殿下にお渡しした。先にいらないと言ったのはお前らだろうが」
それなのに、今さら何のようだ? とジュリアスが問いかけた。
「別にいらないとは言っていないぞ」
「……こいつが使えるからつなぎをとろうとしたのだろう?」
「たぶんね」
六年間、何の連絡もなかったのに、急に手紙をよこしたのは自分が士官学校に入学したからだ。ただの一兵卒なら連絡をしようなどと考えなかったに決まっている。
「そんな人間にこいつを会わせるつもりはない」
どうしてもと言うのであれば、成長まで来い。そう言い残すと彼はスザクの腕を引っ張るようにしてこの場を立ち去った。
「……どうだ?」
「まだついてくるね」
朝比奈以外の人間達が、とスザクは答える。
「なにか理由があるのかな?」
「だとしても、だ。あんな方法を使う人間が信用できるか」
ルルーシュとナナリーをはじめとした皇族方に近づけるわけにはいかない。ジュリアスが言い切る。
「確かにそうだね。ナナリーもここに来ているし」
本音を言えばブリタニア──アリエス離宮で待っていてほしかった。しかし、彼女のルルーシュに会いたかったのだろう。真っ先に会えるであろうエリア11までスザク達と一緒に来たのだ。
「『一番にお兄さまにお目にかかりたいのです』と言われてはな」
むげに断ることは出来なかった、とジュリアスがため息とともに告げる。
「本当は中華連邦までついてくると言われたんだぞ。さすがになんとか諦めてもらったが……」
「ここならクロヴィス殿下がナナリーの側にいてくれますから」
スザクの言葉にジュリアスはうなずく。
「あぁ。だから妥協案として認めたのだが……」
そこまで言ったところでジュリアスがちらりと後ろを振り向く。そこにはまだあの日本人達がついてきている。
「租界に入れば大丈夫かと」
特に政庁は、とスザクは答えた。
「ゲットーまでは目が行き届かないか」
「えぇ……でも、普通の日本人は害はないかと。彼らはどうしても《日本》を捨てることが出来ないだけですから」
捨てられないのは日本人としての矜持、だろうか。
「愚かだね」
「それでも捨てられないのですよ」
「……まぁ、わからなくもない」
自分だってブリタニアは捨てられない、とジュリアスがつぶやく。そういうことになれば絶対に取り戻そうとするだろうとも。
「しかし、それとこれとは別問題だ」
お前の所有権は決して譲らない。そう告げるジュリアスに苦笑しか浮かばない。
「もちろん、僕はナナリーとルルーシュのものですし、二人が許してくれる限り君の手伝いをするよ」
その言葉に彼は苦笑を返してきた。
22.02.20 up