巡り巡りて巡るとき
44
マリアンヌの手引きでアリエスを抜け出したのは、それからすぐのことだ。
「護衛抜きだなんて、日本にいたとき以来だな」
ルルーシュがうれしそうにそう口にする。
「……学園の中は?」
「表だってはいないだけだ」
もっとも自分が知らないところに潜んでいてもおかしくはないだろう。彼はそう続ける。
「先生とか職員とかか」
そこに内密に訓練を受けた人間を配置していたとしてもおかしくはない。いや、シャルルであれば間違いなくやっているはずだ。
「アッシュフォード学園にはナナリーもいるから仕方がないのかな」
ルルーシュならいざとなればどこかに隠れることも可能だろう。しかし、ナナリーはそれができない。そばにロロがいるとしても、彼では入れない場所もあるのだ。アーニャも任務があるだろうし。
そういうときに女性の職員や教師であればさりげなく付き添うことが可能だろう。
「そうだな。ナナリーは仕方がない。そういうことなら、当然ユフィのところにもいるな」
「だろうね。そういう意味で一番楽なのはマリーベル殿下のところかも」
士官学校であれば教師陣は現役か退役した騎士がいる。そこにさりげなく彼女たちへの護衛を加えるぐらい簡単だろう。
何よりも彼女たち自身が戦場でも十分自分の身を守れるくらいには強いのだ。
「でも、ルルーシュには僕がいるし」
そばにいる間は馬鹿に指一本触れさせないから。そういえば彼はうれしそうな表情を作る。
「お前はそういうことに関しては嘘は言わないからな」
信頼している、とその表情のまま彼は口にした。それに胸の奥で何かがうずくような感覚が生まれる。
「今日はどこに連れて行ってくれるんだ?」
その正体を探る前にルルーシュがこう問いかけて来た。
「博物館で皇に伝わっている美術品の展示会があるそうだから、それを見て、それからシュタットフェルトホテルのスイーツバイキングかな」
その後で時間が合ったならば本屋によればいいだろう。スザクはそう答える。
「展示会はともかく、スイーツバイキングなんてよく見つけてきたな」
「……ヴァルトシュタイン卿が教えてくれた」
今、女性騎士達の間で話題なのだとか。そう続ける。
「おそらくマリアンヌさんから何か聞いていたんだと思うよ」
自分が相談するとなれば彼女あたりだろうと推測したのではないか。こういうことは間違ってもミレイ達に聞くわけにいかないことも想像していたのだろう。
「ビスマルクが?」
しかし、問題なのはそれがノネットやドロテアといった女性陣ではないと言うことか。ルルーシュも目を丸くしている。
「あいつ、甘いものが好きだったのか?」
「……みたいだね」
自分も知らなかった、とスザクはため息をつく。
「ともかく、帰りにあそこの限定品の焼き菓子を買って帰らないと……」
「ビスマルクにか?」
「後、マリアンヌさんとナナリーと……ラウンズの女性陣」
彼女たちを怒らせるとどんな目に遭うかわからない。だから、とスザクは続ける。
「今回のお礼に貢ぎ物を持って行くのは当然だよね」
自分の知り合いの女性は甘味が好きだから、と告げればルルーシュも大きく首を縦に振って見せた。
少なくとも
母だけは怒らせてはいけない。
それが二人の共通認識だった。
ガラスケースの中に並べられた書画や諸道具はスザクには見慣れたものだ。と言うよりも、今でも季節の行事の折りには引っ張り出され使われているものである。
『……本当に大切なものは持ってきてないか』
入場の時に手渡された目録を確認してスザクは日本語でそうつぶやく。
『そうなのか?』
『あぁ。と言っても、あれは国外に持ち出せないどころか皇本家と枢木神社から特別なときしか持ち出せないものだから当然だけどね』
持ち出すことがあるとすれば、神楽耶か自分の結婚式か葬儀の時ぐらいだろう。それ以外は完全に秘宝として安置されている。触れるどころか目にすることができるのも片手の指の数よりも少ないのだ。
「ここにある書物は絶対無二とまでは言わないけど、日本でも一二を争うくらい古いものばかりだね」
昔はすべて手で書いているから、同じ本でも多少の年代差が生じる。使われている紙も職人が細心の注意を払って作ったが全く同じとはいかないのだ。もちろん、それで価値が下がるようなことはない。
「他にも一行ずつ金泥と銀泥で交互に書いた経文も、書き手を含めてあの当時の最高のものだし」
そんな説明をしながら二人は一つ一つ見ていく。
「これは?」
「螺鈿細工だね。今でも職人はいるけど、ここまで細かいのだと完成までに何年がかりかなぁ」
貝殻を一つ一つ切り抜いてから土台に張ってそのうえに漆を塗って磨くことでようやくこの輝きが出てくる。パーツを切り抜くだけでも年単位だし、とスザクは続けた。
「日本人は本当に辛抱強いな」
「と言うより、妙なところでこだわりを捨てられないだけかも。武具もそうだしね」
甲冑なんてあそこまで派手に作る必要はない。実際、足軽などはもっと簡素なものを使っている。だが、身分が高くなればなるほど華麗で手の込んだものを使うのだ。
それは、誰がどこでどのような手柄を立てたのか、遠くからでもわかるようにだろう。
「ここには持ってきてないようだけど、皇にはイングランドから送られた甲冑もあるんだよね。それを日本風の鎧に仕立て直して使っていた人もいるよ」
「それは知らなかった」
「日本からも鎧を一領送ったって記録にあるけど、どうなっているのかな?」
スザクはそう言って首をかしげる。
「さすがに詳しいな」
「一族のことだからね。たたき込まれた」
ルルーシュの言葉にそう言い返す。
「神楽耶だともっと詳しいんだろうけどね。僕の場合、武具の方にしか興味がなかったから」
「……それはよく知っている」
「そういえば、ルルーシュにはうちの倉を案内したっけ」
「あぁ。あそこは見事だったな」
「……実を言うと神社の方がもっとすごかったんだけどね」
あちらには国宝クラスがそれこそごろごろしていた。そういうものを奉納して武運を祈ってもらうのが昔の一種のステータスだったらしいし。
「と言っても、あちらは手入れされてないみたいだからなぁ」
あまりに多すぎて手入れが行き届いていなかったようだ。自分もこちらに来てしまったからなおさらだろう。
「次に帰ったときに相談しないとね」
高等部を卒業する頃には一度戻らないといけないか。そうつぶやく。
「神楽耶様に頼むのは?」
「結構お金がかかるんだよ、本格的に手入れをするとなると。だから、やっぱり自分でやらないと怖いかな、と」
神楽耶を信じていないわけではないが、神社関係者も立てないとまずいし、結構面倒なのだ。そういえばルルーシュは納得してくれる。やはりそれなりに複雑な人間関係の中で育っているからだろう。
「それよりも、次の部屋かな。ルルーシュが見たら多分懐かしいよ」
神楽耶がわざわざ連絡をよこしたのはそのせいだろう。そう思いながら次の展示室へと移動する。そこには七年前にルルーシュ達と一緒に楽しんでいた絵巻物が広げられている。
「確かに、これは懐かしいな」
そう言ってほほえむルルーシュは認めたくないけど美人なんだよな。スザクはそう心の中でつぶやく。もしルルーシュが女性であればきっと無条件で恋に落ちたぐらいには好みの顔だ。
ここまで考えたときにスザクは「あれ」と思う。自分の好みはユーフェミアやナナリーのようなかわいい系統だったはずなのに、今、自分は何を考えたのか。
確かにルルーシュは美人だけど、と訳もなく繰り返す。
「みんなで言ったハイキングも楽しかったな」
微妙に混乱しているスザクの耳にルルーシュの無邪気な声だけが届いた。
17.07.29up